2009-12-27

Buon Natale e un Felice Anno Nuovo!

12月25日は過ぎてしまいましたが・・・うちでは今日、恒例の3ファミリー合同のXmasパーティをしました。主役は3人の姪たち(私の姪2人+相方の姪1人)。私自身は、今年は、毎年飾るキリスト降誕の人形セットも出さないうちにNataleの日を通り過ぎてしまったのですが、彼女らへのプレゼントだけはすっ飛ばすわけにいかず、頭を悩ませながら選びました。モノがあふれる現代の子ども、しかもすでに小学校中~高学年になる姪たちの肥えた目にかなうモノを選ぶのは、なかなか大変です。今年は、京都国立近代美術館ボルゲーゼ美術館展(今日まで開催)で見つけた、ラファエロ《一角獣を抱く貴婦人》のマグカップと、ベルベット地にリボン刺繍がほどこされた巾着型ポーチをチョイス。喜んでもらえたようでホッ。

さて、このブログ、“毎日”イタリア!とはいかず、ぼちぼちイタリア~でしたが、これからも続けていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

Vi auguro un buon Natle e felice anno nuovo!!!^-^

2009-12-17

Commedia dell'Arte のストーリーとキャラクター

Commedia dell'arte はもともと即興劇ですが、物語の大筋や登場人物の性格はほぼ決まっています。こうした基本的な約束ごとにしたがって、あとは役者たちが即興で話を進めていきます。そこでいかに相手役をやりこめるか、意表をつく展開を見せるか、その駆け引きが勝負どころ。ストーリー展開やキャラクターの性格といった大枠は守りながらも、いかに意外性を出して観客を引きつけ、喜ばせるかが役者の腕の見せ所だったのでしょう。

<物語の基本フレーム>

相対立する二つの家の息子と娘が恋に落ち、親や召使いを巻き込んで大騒動が繰り広げられる が、最後はめでたく結ばれる―これが物語の基本フレーム。どこか聞き覚えがありませんか?この筋書き。そう、世界で最も有名な恋愛劇『ロミオ とジュリエット』―悲劇的結末を除けば、これはまさにコンメディア・デッラルテのフレームそのままの世界なのです。実際、イタリアのみならずヨーロッパ中で大流行 したコンメディア・デッラルテは、シェイクスピアやモリエールの戯曲にも大きな影響を与えたと言われています。

<主なキャラクター>

登場人物は、様々な地域や身分に典型的と考えられる性格や気質を誇張して類型化したキャラクター(ストックキャラクター)で、人物同士の関係性もほぼ決まっています。

コンメディア・デッラルテの仮面(maschere)
目・鼻・額の形や大きさが各キャラクターの特徴を表す。
小さく丸い目、大きな鼻、狭い額→愚か系キャラの目印
大きな目、小さな鼻、広い額→賢い系キャラの目印
この組合せでキャラのインテリジェンスの度合いが分かる・・・

◆インナモラーティ(恋人たち) Gli Innamorati (The Lovers)
恋する若い男女。男をインナモラート innamorato、女をインナモラータ innamorata という(インナモラーティ innamorati は複数形)。いちおう物語の主人公は彼らである。この役は仮面をつけない。なお、ヒロインの名は、実在の名女優にちなんでイザベッラ Isabella という名が多い。

◆主人キャラクター
町の有力なファミリーの主で、主人公の恋人たちの親などとして登場する。

パンタローネ Pantalone ヴェネツィア出身の大金持ちの商人。ケチで偉そうな好色爺さんというキャラクター。頭はよく学もあり頑固で計算高い老人だが、若い娘を追い回して見境なく財産を貢いだり、コロッと騙されたりする。細身の長ズボンをはいており、パンタロン pantalon の語源となった。

ドットーレ Il Dottore (The Doctor) ボローニャ出身の学者。パンタローネと対をなす老人役。博学で雄弁だが、言ってることは意味不明。インチキなラテン語をしゃべって、怪しげな学識をひけらかすエセ先生といったところ。ボローニャはヨーロッパ最古の大学をもつ学問都市(la Dotta)として知られ、美食の都であることから肥満都市(la Grassa)とも言われる。ドットーレも太っていることが多い。

カピターノ Il Capitano (The Captain) 軍人。派手な軍服を着て威張っているが、実は気の小さい臆病者。かつてイタリアは、南部をスペイン、北部をフランスやドイツに支配されていたことから、カピターノは外国人(スペイン人)という設定になっている。

◆召使いキャラクター
パンタローネやドットーレの召使として登場。機転が利いたり、ずる賢かったり、間が抜けていたり…芝居に活気を与え、実質上の主役的存在であることも多い。召使いはベルガモ出身が多いが、かつてヴェネツィア共和国の一部だったベルガモ(今はロンバルディア州)は、貧しく、ヴェネツィアへ出稼ぎに行く人が多かったことに由来する。

アルレッキーノ Arlecchino ベルガモ出身の召使い。コンメディア・デッラルテといえばこのキャラ、という代表的なキャラクター。カラフルなつぎはぎの服が目印で、たいていお腹を空かせている。頭の回転が速く、口も手も体もよく動いて存在感抜群。何かにつけて計略をめぐらすが、どこか抜けているところもある。フランス語でアルルカン Arlequin 、英語でハーレクィン Harlequin と呼ばれ、道化役の起源とも言われる。

プルチネッラ Pulcinella ナポリ出身。のろまで騙されやすく憎めないダメ男系キャラ。身軽で機敏なアルレッキーノと対照的に、でっぷり太っていかにも呑気そうなキャラクター。白いだぶだぶの服を着ている。イギリスではパンチ Punch と呼ばれ、人形劇の「パンチ・アンド・ジュディ」 Punch and Judy へと発展した。

ブリゲッラ Brighella ずる賢くてがめつい守銭奴の小悪党。ベルガモ出身。アルレッキーノの子分などで登場。

ザンニ Zanni 初期のコンメディア・デッラルテに登場する召使い。ベルガモ出身。ここからアルレッキーノやプルチネッラなどのキャラクターに分化した。召使いキャラの原型。 Zanni とは Giovanni の愛称。

コロンビーナ Colombina
女の召使い。明るく開放的で浮気性、天性の知恵を持ち、肉体的魅力を振りまく、したたかな庶民派セクシー系。アルレッキーノの恋人やインナモラータの小間使い役など。通常は仮面をつけない。

◆参考サイト◆
La Commedia dell'Arte
Punch and Judy

2009-12-16

Commedia dell'Arte って?

昨日に引き続きコンメディア・デッラルテ関連です。けど、コンメディア・デッラルテって何?12日の狂言vsコンメディア・デッラルテのコラボ公演では、出演者のアンジェロ・クロッティさんからかなり詳しい解説がありました。せっかくなので、この機会にコンメディア・デッラルテの概要を少しまとめておきたいと思います。

コンメディア・デッラルテ commedia dell'arte は、16世紀の中頃、北イタリアに発祥した即興仮面劇です。ちょうどルネサンスが最盛期を迎え、後期へと移行していくころですね。中世までの演劇は教会が取り仕切っており、演劇活動にはかなりの制限がありました。ルネンサンス期の人間観の転換が、コンメディア・デッラルテのような風刺のきいた自由な芝居を可能にしたのです。

この即興仮面劇はヨーロッパ全体に広がり、16~18世紀にかけて大流行しました。イギリスのシェイクスピア W.Shakespeare (1564-1616)やフランスのモリエール Molie`re (1622-1673)にも影響を与えたといわれますが、特に18世紀ヴェネツィアの劇作家カルロ・ゴルドーニ Carlo Goldoni (1707-1793)はコンメディア・デッラルテに多大の影響を受け、またコンメディア・デッラルテに新風を吹き込んだ重要な作家です。それまで簡単な筋書きと決まりがある以外は、ほとんど役者の即興で演じられていたのが、ゴルドーニによって台詞のある台本が書かれ、登場人物の性格づけにも深みが与えられました。

やがて、演劇としてのコンメディア・デッラルテは廃れていきますが、例えば、主要登場人物のアルレッキーノから道化役が生まれ、コンメディアから離れてキャラクターとして自立していくなど、その水脈はしっかりと受け継がれています。

20世紀に入り、世界的な演出家ジョルジョ・ストレーレル Giorgio Strehler (1921-1997)がゴルドーニの作品『二人の主人を一度に持つと』 Il Servitore di Due Padroni を発掘・再演し、コンメディア・デッラルテの伝統が新しい形で現代に甦ったと言われています。

ちなみにこの arte という言葉、今日いうところの芸術を意味するものではなく、職業という意味。つまり commedia dell'arte とは、職業的演劇という意味になります。もともと物売りが仮面を着けたり派手な衣装を着て人目を引き、巧みな口上を述べながら商品を売り歩く・・・そんな形から発展し、やがてもっぱら演じることを生業とするプロの役者が誕生していったということです。行き交う通行人の耳目を集め、その場に引き留めなければお金ももらえませんから、ストーリーは誰にも親しみのある分かりやすいテーマ、そして台詞やアクションは必然的に誇張されたものになります。

筋書きは、大体決まったパターンがあり、登場人物も身分や出身地、性格傾向に応じて類型化されています。ストック・キャラクターと呼ばれるこれらの登場人物の中から、道化役やピエロなどのキャラクターが誕生しました。その意味で、コンメディア・デッラルテは、ヨーロッパの喜劇あるいは喜劇的キャラクターの母体といえるでしょう。

◆コンメディア・デッラルテのキャラクターについてはコチラ

2009-12-15

抱腹絶倒!日伊伝統喜劇の競演

12月12日(土)、COMMEDIA合戦 狂言vsイタリア仮面劇を観てきました。プログラムの冒頭に狂言、コンメディア・デッラルテについてそれぞれの演者から説明があり、続いて狂言「伯母が酒」(小笠原 匡)、コンメディア・デッラルテ「二人の主人を一度に持つと」 Il Servitore di Due PadroniC.ゴルドーニ作)からアルレッキーノ演じる1シーンの上演(アンジェロ・クロッティ)、そして締めが本企画の目玉である狂言&コンメディアのコラボレーション新作「TONTO盗人(とんと ぬすっと)」(小笠原 匡、アンジェロ・クロッティ、ワークショップ参加者の皆さん)です。

秘伝のお宝満載、難攻不落の厳重警備が自慢の大阪のとある博物館に、
イタリア人&日本人の泥棒コンビが客に紛れて侵入。
手間取っているうちに、物音を聞きつけた館長が伝家の宝刀を持って現れ…
(新作「TONTO盗人」より)

ごぞんじ狂言は、能と同じく猿楽から発展した、滑稽で風刺的な笑劇。コンメディア・デッラルテは、ルネサンス期の北イタリアに発祥し、16~18世紀にかけてヨーロッパで流行した即興劇。日伊の伝統的なこの二つの喜劇の共通点は、ともに仮面を使うことです。 いずれもセリフが重要な役割をもつ演劇ですが、「TONTO盗人」では、狂言の様式化された謡や動作と、コンメディア・デッラルテの饒舌なセリフ回しや素早い動きが自然な形で組み合され、また言葉が分からないもの同士(日本人お館長とイタリア人の盗人)のトンチンカンな意味の取り違えなども織り交ぜて、言葉が分かっても分からなくても楽しめるように構成されていました。

この新作には小笠原さん、アンジェロさんの他、公演に先立って行われたワークショップ(12/7~11)の参加者も出演されていましたが、皆さんなかなか芸達者、特に盗人の相棒役はセリフも多く、アンジェロさんとの掛け合いも巧みで、アマチュアとは思えない活躍ぶり。私はその前夜、1回だけワークショップに参加したのですが、その時間の後半が「TONTO盗人」の稽古に当てられており、舞台づくりのプロセスをほんの少し共有していたので、最終的にどう仕上がったのか楽しみにしていました。私も出演のお誘いをいただいたのですが、今回は客席で見たかったので辞退、本番では大人しく客席に端座。だったのですが、客席を巻き込んだ1シーンで、ちょっとばかりいじられて、、、思いがけず友情出演(!?)も果たしました。そんなこんなの、アドリブ感あふれる抱腹絶倒のステージでした。

最後に主催者からは、この企画を今年だけで終わらせず来年、再来年…と継続したい、との言葉。ぜひそうなることを願っています。

参考■和泉流狂言師 小笠原匡(アトリエオガ)ホームページ

2009-12-06

手作りはいかが?超簡単Xmasカード―TV出演体験記

11月30日(月)、NHK総合の「ぐるっと関西おひるまえ」に出演しました。平日の11:30~12:00、NHK大阪放送局から公開生放送で、近畿2府4県に向けて放映されている地域情報番組です。私の出番は、クリスマスカードの手作りコーナー。超簡単にできるポップアップXmasカードの作り方を紹介しました。

■ぐるっと関西おひるまえ番組HP http://www.nhk.or.jp/gko/


ポップアップでカードのベースを作りコラージュで飾りつけたXmasツリー

出演のきっかけは、私がやっているNPOのHP・ブログを見た番組ディレクター氏からの電話。事務局に講師を紹介してほしいという依頼があり、理事をやっていることもあって私が出ることになりました。TV出演など初めて、さらに生放送とあって、本番はどうなるのだろう…と思っていましたが、丁寧な事前打合せやシナリオ、そして現場スタッフの皆さんのすばらしいサポートで、無事任を果たすことができました。二人のキャスターのうち、萩原真紀さんが要所要所で手順やポイントを確認しながら番組を進行し、茂山宗彦さん(大蔵流狂言師)が私の説明にしたがってカード作りを実演します。お二人ともプロらしく、さりげなく番組の流れをリードしてくださいました。おかげさまで、自然なやりとりができたのではないかと思います。肝心の内容も好評だったようで、ホッと一安心。後から番組を見返すと反省点はもろもろありますが、自分でつくる楽しさ、身近なものでアートできる面白さなどが少しでも視聴者に伝わったたなら本望です。

それにしても、一つの番組を作るのになんと多くのスタッフが関わり、また事前準備も含めて手間ひまかけていることでしょう。私の出番は約10分でしたが、そのコーナーのためだけに当日は3度リハーサルを行い、その都度進行や時間の割り振りを手直しします。リハのたびにシナリオに朱が入り、対応するのもなかなか大変で。そして、TVの現場は分刻み、いや秒刻みの世界。本番前は10分って長いなあ・・・(汗)と思っていましたが、いったん始まると一気に進んでいきます。 が、その間、つねに時間を意識していなければいけません。進行状況に応じて必要ならば省くところは省き、中核となるテーマやメッセージはしっかり伝えなければいけません。時間が足りず、肝心要の部分が言えなかった…というのはNG。特に「必ず最後にコレを言って締めてくださいね!」と再々念押しされていたことがあったので、終盤が近づくにつれドキドキ度が上昇。そんなこんなで、本番中はずっと頭フル回転モードでしたが、その緊迫感はある種快いものでもありました。次にTVに出るときは、今回の経験を踏まえてもっとバージョンアップします!して、「次」の機会って、いつなのでしょうね!?(笑)

2009-12-05

美味なるパンチェッタの快楽

先日、大学時代の後輩と行ったイタリアン・レストラン。それほど大きな店ではありませんが、ゆったりと落ち着いた雰囲気で、楽しめました。グルメな後輩のイチオシだけあって、もちろんお味は申し分なし。中でも最後に食べたパンチェッタ(生ベーコン)のパスタは秀逸でした。ベーコン系のメニューは、イタリアンの店でもそこらへんの安物が使われていてガッカリさせられることが多いので、私は普段あまり頼みません。が、あえて“パンチェッタ”と銘打ってあったので、本格派への期待を寄せて注文。結果は大正解)^o^(!二人で、美味しい美味しい、としきりに褒めながら舌鼓、腹も心も大満足。ドルチェなしでも大満足の、ある日のイタリアン晩餐でありました。

■トラットリア ゴロージィ  http://add.ss10.jp/golosi/

 
いちばん下がパンチェッタのパスタ

竹喬に寄せて

昨日、仕事の会合で天王寺の美術館に行った折、開催中の小野竹喬展(12月20日まで)を見ました。茜色の空や鮮やかな青空、明るい瀬戸内の島や海、雪をいただく山や木の枝、野の草花・・・自然への研ぎ澄まされた眼が捉えた自然の諸相を見たあと、美術館を出ると、鮮やかな銀杏や紅葉が目に飛び込んできました。そして、背後には、ほんのり茜色に染まった夕暮れの空と雲。それはまるで、先ほど見てきた竹喬さながらの色彩世界。思わず携帯カメラを向けましたが、竹喬の100分の1もその美を捉えられず・・・写真はお粗末ですが、竹喬がなぜひたすらあのような自然を追い続けたか、その秘密を思いがけず発見したような感動を覚えました。



写真は竹喬に遠く及ばずとも…
実際の空と木々は、竹喬の世界そのものでした
都会の真ん中で遭遇した自然美に感動


こんなとこにネコの置き物??
思わず近寄って確かめてしまったほど、不動の姿勢で目を閉じ座っていたネコ

ところで、大阪市のど真ん中、天王寺公園の中にあるこの美術館、正式には大阪市立美術館といいますが、私にはどうも、天王寺美術館、あるいは天王寺の美術館、という方がしっくりきます。大阪人の皆様、いかが思われますか

2009-12-04

【公演案内】COMMEDIA合戦 狂言vsイタリア仮面劇

ユネスコ認定の無形文化遺産である狂言(能楽=能・狂言として登録)と、イタリア伝統の仮面劇のコラボレーション公演のご案内です。仕掛け人は、和泉流狂言師の小笠原匡さん。東京出身ですが、伝統芸能発祥の地 上方を愛し、東京と大阪に拠点を置いて活動されています。共演は、コンメディア・デッラルテ俳優アンジェロ・クロッティさん。両氏によるワークショップもあります。

★Eenen延年VOL.4================
COMMEDIA合戦 狂言vsイタリア仮面劇

日本が世界に誇る狂言と16紀イタリアで生まれた即興仮面劇コンメディア・デッラルテ(commedia dell’arte) ― ともに仮面を用いた東西の喜劇が夢の共演&競演!

【日 時】    2009年12月12日(土)昼の部14:30~/夜の部19:00~
【会 場】    山本能楽堂 (地下鉄「谷町四丁目」下車 4番出口より約徒歩2分)
【料 金】    前売4,000円/当日4,500円 ※全席自由

【プログラム】
◆レクチャー&デモンストレーション
狂言とコンメディア・デッラルテについての知識や演技方法を実演つきで解説。

◆狂言「伯母が酒」
太郎冠者が酒屋の伯母を訪ねていく。この伯母は大変なケチで、今まで酒を振る舞ってくれたことがない。今日こそはとあれこれ言いくるめようとするが、伯母はそうそう騙されない。そこで太郎冠者は帰ると見せかけ、鬼の面をつけて伯母を脅し、酒を飲もうとするが…

◆コンメディア・デッラルテ「二人の主人を一度に持つと」
召使アルレッキーノは、巧みに二人の人物を演じ分け、二人の主人に仕えます。
18世紀ヴェネツィアの劇作家カルロ・ゴルドーニ作。

◆新作「TONTO 盗人」
夜更けに大阪のとある金持ちの屋敷に忍び込んだのは、気が小さく間抜けなイタリア人。何とか目的の物を盗み取ろうとしますが、物音を聞きつけた主人がやって来てしまい・・・史上初、狂言とコンメディア・デッラルテのコラボレーション。TONTOとはイタリア語で“まぬけ”という意味。
作・構成・演出:小笠原 匡。

【出 演】 小笠原 匡 アンジェロ・クロッティ(Angelo Crotti)

■ワークショップ■=================================
「 狂言 et コンメディア・デッラルテ スタージュ(レッスン) 」
日時 12月7日(月)~12月11日(金)
昼の部14:00~16:00/夜の部19:00~21:00
講師 小笠原匡 アンジェロ・クロッティ
==============================================

【問合せ】 アトリエ・オガ Tel.06-6942-1577

2009-11-26

コインのゆくえ

Fontana di Trevi (settembre, 2009)

ローマのトレードマーク、トレヴィの泉。後ろ向きのコイン投げは、もはや都市伝説といえるのではないでしょうか。そして、誰もが一度は考えたことがあるはず。あのコインはどこへ行くのか、と。その答えを見つけました。↓

トレビの泉に投げ込まれたコインはどこにいくの?

コインたちの行き先は、Caritas(カリタス)というカトリック系NGOだそうです。国際カリタス Caritas Internationalis はヴァティカンに本部を置く世界的な組織で、日本にもカリタスジャパンという会員組織があります。トレヴィの泉のコインたちが、ヴァティカンの本部に寄付されるのか、カリタスイタリア Caritas Italiana に寄付されるのか、記事を読んだだけではわかりませんが(推察するにおそらく後者?)、どちらにしても年間約8千万~1億円とはバカにならない金額。それだけ多くの人が、またローマに戻ってきたいと思っているということなのでしょうね。

caritas とは charity の語源となったラテン語。コインに託された旅人の思いが、めぐり巡って charity に生かされるなら、都市伝説にノセられるのもまんざらではないなと思います。(ちなみに私は毎回必ずノセられることにしております。)私がやっているNPOにもどこかの泉からコインが流れてこないかしら!!?

2009-11-18

贅をつくした夢のあと―Villa d’EsteとVilla Adriana

久しぶりのイタリア2009旅日記。水の都、石の都(花の都ともいう)と来れば、締めは当然、永遠の都です。何度来ても、何度歩いても飽くことのない街。イタリアへの愛は、やっぱりローマに通じます。1996年2月、最初のイタリア旅行の、最初の街がローマでした。夜のローマ市街をバスでホテルに向かう道すがら、ライトアップされたコロッセオを見たときの驚異と感動は、一生忘れることができません。が、しかし、今回はローマ市内よりも郊外へと決めていたので、市内めぐりはやめて、ずっと行きたかったティヴォリへ。オスティア・アンティカも捨て難かったのですが、初志貫徹でティヴォリに決定しました。

地下鉄B線の Ponte Mammolo からバスを乗り継いで 、まずは Villa d'Este に到着。16世紀中ごろ、エステ家出身の枢機卿イッポーリト・デステが隠遁生活のために建造したこの別荘は、これでもかというほど贅沢に水を駆使した広大な庭園を誇り、まだまだ暑い9月上旬にもかかわらず、至るところに吹き上げる水しぶきのおかげで、とても涼やかでした。敷地内には500以上の噴水があるそうです。庭内を歩いていると、ふとルネサンス風の衣装を着けて恋人と散歩する貴婦人のイメージが湧き、ひと時タイムトリップ。そんなコスプレをぜひ体験してみたいと思う、時代衣装好き、民族衣装好きの私でありました。

 
 
 
Villa d'Este

Villa d'Este からさらにバスを乗りついで、次にめざすはヴィラ・アドリアーナ Villa Adriana。在位中、広大な領地をくまなく視察してまわったローマ皇帝ハドリアヌス(76-138、在位117-138)が、旅の先々で魅了された各地の風景を集めて再現した理想郷です。神殿や浴場、劇場から養魚池、ギリシアやエジプトの建造物など、まさに皇帝の夢が凝縮されたミクロコスモスで、往時の姿はそれ自体一つの街といったものではなかったでしょうか。ハドリアヌス帝以後の皇帝にはあまり使用されることなく廃墟となり、宝物や建材用大理石もずいぶん持ち去られてしまったといいます。今の姿にはさすがに2千年の時の流れを感じずにおれませんが、遺跡や廃墟を歩く醍醐味は、想像力をもってその場を逍遥することだと感じ入りました。当時のままの姿で残っている建造物にも感銘を受けますが、廃墟となったものに立ち会うと、人間や時間などについて、完全な姿で残るものからは感じることのできない、何か特別な感慨を抱きます。じっくり見て回り、十分想像力をはたらかせて味わうには、ゆうに1日必要。Villa d'Este と Villa Adriana のWヘッダーではどちらも駆け足になってしまい、少しもったいなく思いました。次はそれぞれ一日ずつとって、時間を気にせず堪能したいものです。

Villa Adriana (Canopo)

カンポ広場に市が立つ―シエナ礼賛

世界遺産であるシエナ Siena のカンポ広場 Piazza del Campo に、700年の歴史上初めて市が立ったそうです。

イタリア・カンポ広場で初の市場

シエナのカンポ広場といえば、扇形の形状が優美な「世界一美しい広場」と言われ、8月にはイタリア有数のパーリオ Palio (地区対抗の競馬祭)が開かれることでも有名です。1997年の夏、パーリオ開催直前のシエナへ行ったことがありますが、パーリオを控えて観光客であふれる街の活気とともに、この街の文化水準の高さに目を瞠ったことが忘れられません。中でもシエナ大聖堂 Duomo di Siena に足を踏み入れたときには、ただただ「ドッカ~ン」という音が頭上で鳴り響きました。自分のボキャ貧が情けなくなりましたが、その時の驚嘆や感銘を表す言葉は、今でも見つかっていません。かつてフィレンツェのライバルでもあったこの街が、いかに力をもっていたかは、何の説明を聞かずともこの大聖堂を見れば分かります。イタリア中小都市の底力を見せつけられた1日旅行でした。

同じトスカーナでも、シエナにはフィレンツェとはかなり違う美術の伝統があります。ゴシック的な特徴を多く残すシエナ派 scuola senese の絵画は、ルネサンスの先鋒フィレンツェ派に比べると一見古風な印象を与えますが、実際にシエナの街を歩いてみると、往時はさぞかしパワフルでエネルギッシュであっただろうこの街に、ゴシック的な繊細さが何ともいえない優美さをもたらしていたのではないかと思えて、この街にはこの絵画でなければならなかった必然性のようなものを感じました。

人口規模(5万人強)で見れば決して大きい街ではありませんが、シエナ大学やシエナ外国人大学、キジアーナ音楽院 Accademia Musicale Chigiana などの学術・文化機関を擁し、学生や留学生も多く、若者の多い街だということです。また、1472年創立のモンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行 Banca Monte dei Paschi di Siena は、欧州最古の銀行の一つで、今なお当地に本拠を置くイタリア有数の銀行です。シエナ繁栄の基礎を築いた立役者であり、息の長い地道なメセナも行っているようです。

イタリアでどこが一番好き?と聞かれると、私はとても一つに絞ることができないのですが、シエナは紛れもなく最も好きな街に入ります。中小規模の街では一番好きと言ってもいいかもしれません。いつかシエナに長期滞在し、イタリアの都市(の魅力)をじっくり研究したい、たった1日の訪問以来、ずっとそんな思いを抱き続けている街です。

2009-11-15

日本文化再発見?ステレオタイプ再確認?―メディアフォーラム2009

11月11日(水)、大阪国際交流センター(谷町9丁目)で開かれたメディアフォーラム2009を聞きにいきました(主催:関西プレスクラブ、関西広域機構 関西広報センター[KIPPO]、大阪国際交流センター)。テーマは、「日本の文化“再発見”~関西で活躍する外国人の視点から~」。文化・学術方面で活躍する関西在住の外国人4人が登場、前半は各出演者によるプレゼンテーション、後半はパネルディスカッションでした。出演者はそれぞれ、フードジャーナリスト(イギリス出身)、筑前琵琶奏者・音楽学者(スイス出身)、マンガ・アニメを研究する社会学者(ベルギー出身)、国際観光推進員(カナダ出身)で、ABCのアナウンサーがコーディネーターを努めていました。

私は後半のパネルディスカッションから参加したので、前半のことはわかりませんが、後半について言う限り、「ちょっとお粗末じゃないの」。これはひとえに、今回のテーマに対してコーディネーターが不適任であったことによると思います。のっけから、「私はずっとスポーツ担当で、文化のことはわかりません。私でいいのかなという感じですが、客席の皆さんと同じ目線でお聞きできるかな、と思います」というような、開き直りにも似たスタート。事実、以後の展開はそれを証明するもので、コーディネーターの質問から引き出される返答は、欧米人なら日本のこういうことには当然ギャップを感じただろう、という予測がつくものばかり(料理、街や人の慌しさ等)。日本文化再発見というよりは、ステレオタイプ再確認といった方がよいような、中途半端なバラエティ番組の延長といった内容で、何ら深みのある知見が引き出されていませんでした。壇上のパネリストたちにも、フラストレーションを感じていた節が見受けられ…。
しかも、基本的にプレスやメディア関係者対象のフォーラムなので、参加者の大半は今回のテーマに一定以上の知識をもつ人だったはず。そうした参加者層を考えると、なおさらコーディネーターの切り口はお粗末だったし、そのような人選をした主催者の見識も問われようというものです。実際、途中退席する参加者もかなりいました。シンポジウムとはコーディネーターの力量によってこれほど左右されるものか、というケーススタディのようなフォーラムでした。

ついでながら、テーマ設定そのものも「今さら…」の感ありで、パネリストが欧米の方ばかりというのも不自然に感じた次第。約1ヶ月ぶりの投稿がネガティブモードなのは自分としても不本意ですが、あまりにお粗末さに愕然としたので、あきれついで書いてしまいました。以上。

発音と発声

イタリア語は、日本人には発音しやすいと言われています。英語やフランス語に比べると、確かにそうかもしれません。基本的に母音ドミナントの言語で、あいまいな音も少なく、綴りはローマ字に近いので、割合にとっつきやすい。が、大きく違うと思うものがあります。それは、発声です。ネイティブのイタリア人のしゃべりを聞くたびに、イタリア語は本当にお腹から声を出す言語だなあ、と感じます。イタリア語と日本語の発音は比較的近いかもしれませんが、イタリア人と日本人の発声はひじょうに違うのです。母音の中でも特に u は、日本語の「う」では全く通じませんが、極端なぐらい口を突き出して、腹式呼吸で「うー」と言うと通じます。

英語でもそうですが、舌の位置がどうとか、口の開き具合とか、細部だけにいくらこだわっても通じないことは多いものです。むしろ英語なら強弱アクセントを極端なぐらいにするとか、イタリア語なら極端なぐらいのイントネーションをつけるとか。そして、発声。舌でしゃべろうと思わずに、下腹部にぐっと力を込め、喉を大きく開いて、大きな空気の柱を吐き出すつもりでしゃべると、ぐっとイタリア語度がアップするように思います。実はコレ、昔、クラリネットを吹いていたときに、先輩に言われた呼吸のイメージ。イタリア語は、歌を歌ったり管楽器を吹いたりするときの呼吸法をイメージすると、ひじょうに話しやすくなり、気分もイタリア語モードになります。やっぱり musicale な言葉なのかもしれません。

ここのところ何だか、隔日イタリア!になってます(^^;)。ま、ここは一つ、有名なイタリアのことわざにあやかって、、、

Chi va piano, va sano e va lontano. (ゆっくり行く者は元気で遠くまで行く。)

Ciao a presto!

2009-11-13

ピサ?ピザ?―街と食べもの

12年前、アッシジで2週間ほどのステイをしていたとき。午前は語学研修、午後はエクスカーションというプログラムで、時々フリータイムもありました。 あるフリーの日、仲間たちとフィレンツェ~ピサの小旅行へ。帰ってくると、ステイ先の若いシニョーラが、

-Oggi siete andate a Pisa?      今日はピザ~に行ったんですって?
-Piza!?(Pizza!??)Ahhh, Pisa!! Si.   ピザ…!?(Pizza??)あ~、Pisa!そーです。

 
ピサの大聖堂と鐘楼(斜塔)。1997年8月撮影。

Pisaは、いわずと知れた斜塔の街。日本語ではふつうピサと言っていますが、イタリア語の発音はピザ~(後にアクセント)。イタリア語では、母音にはさまれた s の音は濁ります。知っていても一瞬分からず、ピザを食べに行ったかと聞きたいのか、、、などとトンチンカンなことを考えてしまいました。PisaもPizzaもなじみが深いだけに、一瞬混乱したのです。

なお、ご存知のとおりイタリア語でピザ(食べ物)は、pizza(ピッツァ)。イタリア語でピザと言われたら、pizzaではなく、斜塔のある街のことですので、お間違いなく!


pizza2種。極薄生地と厚生地。ローマにて。

2009-11-11

食べる宝石!?10万ユーロの白トリュフ

東のマツタケ、西のトリュフ tartufo といえば、秋の味覚を代表する高級食材。世界にはキノコ好きの民族とそうでない民族がいて、日本人はキノコ好き、西洋人ならラテン系はキノコ好き、ゲルマン系は(伝統的には)キノコを食べなかった、と、かつて何かの料理の本で読んだことがあります。

まぎれもなくキノコ好きに分類されるイタリア、ピエモンテ州アルバで開かれる白トリュフ市 Fiera Nazionale del Tartufo Bianco d'Alba にて、最高級白トリュフが10万ユーロ(約1350万円)で落札されたそうです。
重さ750グラムの白トリュフ、約1400万円で落札 イタリア

高級とはいえ、ともすれば家一軒建つぐらいの値段。どんな人のお腹に収まるのでしょう。それとも、(たぶん)史上最高値のキノコとして永久保存されるのでしょうか!?

さて、私のペンネームと同じ名のこの町、約2000年の歴史をもつようです。(イタリアでは全然珍しいことではありません。)ピエモンテはトリュフの名産地ですが、その中でもアルバの白トリュフは、とびきりの高級品として世界に知られているのですね。白トリュフ市は、毎年10月初め~11月初めの約1ヶ月間にわたって開催され、期間中はさまざまな関連イベントや伝統行事も催されるようですから、町はずいぶん賑わうことでしょう。小さな町でも、世界に誇れるこういうキラーコンテンツをもっているところは強いですね。このイベント期間中に、世界に向けてさまざまな発信をすることができます。しかも毎年の恒例行事ですから、継続的に発信できる。継続は力なり。単発の大規模イベントよりも、小規模でも継続的で開催する必然性のあるイベントの方が、長い目で見れば町のブランディングにはプラスをもたらすことが多いのです。トリュフは自然のものですが、それを大事にしてきたのは町の人たちですから、アルバの人たちの努力に敬意を表します。

また、アルバ人といえば、ローマ人と戦った部族の名前でもあり、ローマ人とアルバ人の戦いに取材したダヴィッドの名画<ホラティウス兄弟の誓い>もあります。アルバ人は敗れる方ですが。ALBAとは、イタリア語で「夜明け」の意味。Aで始まりAで終わる開放的な音と、その意味に惹かれ、10年以上前、初めて自分のサイトをつくったとき、自分の人生も明るく開けていきますように、との願いを込めて名づけたことを思い出しました。

2009-11-10

passare il Rubicone―ルビコン川を渡る

シーザーはルビコン川を渡る…かくして、賽は投げられた!(jacta alea est)

名は知られているわりに、実際どんな川か知られていない。それがルビコン川かと。

カエサルという世界史きっての英雄が決死の覚悟で越えたのだから、さぞかし難所なのだろう(越すに越されぬ大井川、みたいな?)と思うとアテが外れて、実物は全長50kmほどの川。エミリア=ロマーニャ州フォルリ・チェゼーナ県にあるこの川の名声は、完全に歴史的な事情に由来しています。

カエサルの時代(共和制末期のローマ)、ここは共和国本国と属州の境界で、軍団を伴ってこの川を渡って南下することは、法律で禁じられていました。つまり、軍隊とともにこの川を渡ってローマ領内に入ることそれ自体が、共和国への反逆だったのです。敗れれば逆賊になることを知りながら、この小川を越えたというわけですね。

私はルビコン川を渡ったことはありませんが、今から10年ほど前、当地に住んでいたメル友に案内されて、フォルリ=チェゼーナ県をあちこち案内してもらったことがあります。こんな小さな川なら、もしかしたら、知らぬ間に渡っていたのかも?と思ったりして。

誰の人生にも、(カエサルほどでなくとも)ルビコンを渡る passare il Rubicone ようなことが、一度ぐらいあるのかもしれませんね。

※昨日はPCがダウンし、トラブルシューティングにあたふた(未だ復旧ならず)、ブログ休みました。

2009-11-08

アートに親しむグッズ

前に紹介した、ちょっとお茶目なDavide e Venereの着衣バージョンです。


子どもが楽しめるこういうグッズ、なかなか「買い」です。私は子どもはいませんが、美術館に行くと、こうした子ども用アイテムに目がいきます。アートに触れるのは、子どもの頃から自然に遊びながら親しんでいくのが、いちばんだと思うので。

ヨーロッパの美術館に行くと、子どもが美術に親しめる本やグッズが豊富なことに驚嘆します。日本の美術館でも最近はかなり増えてきましたが、残念ながらまだまだヨーロッパには及ばない…。そもそもミュージアムショップの充実度からして違うのですね。日本のミュージアムショップというと、どうもお土産屋とか売店の域を出ないのですが、ヨーロッパの主要ミュージアムに行くと、書籍、雑貨、ポスターからインテリア用品まで、質・量ともにすごいヴォリュームです。名だたるミュージアムならば、ネームバリューによるブランド価値も大きいし、売り上げも相当な額になるのではないかと思います。そして、館の運営にも少なからず貢献しているのではないか、、、と。

しかし、日本のミュージアムも地道に頑張っています。先日行った奈良国立博物館のPCで見られる仏像入門は、なかなか面白かった。本館と別館をつなぐ地下通路、ミュージアムショップの前に端末が数台あります。如来/菩薩/明王/天という主要な仏像の種類について、それぞれの特徴をわかりやすく説明してあります。仏像は種類によって髪型やポーズ、持物が決まっているので、だいたいのことを知っておくと見る楽しみも増します。今は正倉院展(+隣の興福寺の阿修羅展)で激しく混雑していますが(但し平常展は空いてます^o^)、ここは国宝・重文ワンサカ、特に仏教美術の宝庫なので、常設こそ必見のミュージアム。年に一度の正倉院展(11/12まで)も素晴らしいものですが、古都散策がてら奈良博の常設を訪ねてみてください。仏像パワーに癒されること間違いなしです。

2009-11-07

Sto meglio

昨日は急に体調を崩して寝込んでしまいました。で、ブログもお休み。
せっかくなので、体調に関するイタリア語を少しおさらい。

Sono stato/stata male ieri.  昨日は調子が悪かった。
Ho avuto mal di testa e di gola. 頭と喉が痛かった。
Fortunatamente non ho avuto la febbre. 幸い熱はなかった。
Oggi sto un po' meglio. 今日は少し良くなっている。

最初の3つを現在形で言うと、
Sto male oggi. 今日は調子が悪い。
Ho mal di testa e di gola. 頭と喉が痛い。
Fortunatamente non ho la febbre. 幸い熱はない。

E' tutto per oggi. Ciao ciao^_-v

2009-11-05

カメラと日本人

かつて、ほとんど常套的な組み合わせでしたよね。旅先での、カメラ×日本人。この9月、9年ぶりにイタリアに行ったときの感覚的な印象としては、これはもはや過去のこと。今や日本人に限らず、誰も彼もパシャパシャ撮りまくってました。撮影禁止の場所でもおかまいなし。デジカメになって、機械が超コンパクトになり、派手なシャッター音もしないので、いつでもどこでも、片手で手軽に撮れてしまう。“No foto”とガードマンに制止されることもあるけれど、注意されない限り、みんなホントに気にせず撮っていました。

全体的に、10年、15年前と比べて日本人観光客の存在感がずいぶん控えめになったように見受けられました。数はまだまだ多いはずですが、両手に大きなブランドショップの袋をいくつもぶらさげた若い娘、という不釣合いな構図もあまり目につかず…。昨今の経済状態の反映なのか、ブランド品を買い漁るという行動パターンも少なくなってきたのではないかと推測します。ある意味で、正常化したような気がしました。かつてさかんに揶揄されたような悪目立ちぶりは、影を潜めたようでした。

2009-11-04

ちょっとお茶目な、、、

Davide と Venere。着せ替えマグネットです。フィレンツェのアッカデミア美術館(だったかな)で購入。こういうお茶目系グッズは、好きです。小学生の姪にあげたところ、「着せ替えの衣服と本体 がピシッと合えへん(笑)」。「そのアバウトさがイタリアやって」と言うと、「ホンマに~」と納得していました。が、イタリアってどんなとこか分かってるのかなあ!?(着衣イメージはコチラ

  

2009-11-03

徹底イタリア美術ガイド全5冊

ナショジオのガイドブックは1冊でイタリア全土をコンパクトかつポイントをおさえている点、また全篇フルカラーの美しさが秀逸。こちらは美術史家の宮下孝晴さんによる、その名も『徹底イタリア美術案内』。地域別に全5巻の構成で、まさにガイドを超える徹底ガイドです。ルネサンス美術の専門家による本書は、通常のガイドでは載っていないようなスポットも満載。文章は読みやすく、エッセイとしても楽しめます。行き先にあわせて持っていく巻を選ぶとよいですね。

この本は、街歩きのときにカバンに入れて持ち歩くというよりも、その街に行く前の予習や行った後の復習に、じっくり読むものとして使いました。移動中の列車や飛行機、宿泊先のホテルで、翌日の行程を考えたり、行った後にふりかえったりすると、旅の充実感が増します。難はといえば、読めば読むほど、あれもこれも…と見たいもの、行きたいところが増えてきて、行程を決めるのが難しくなることでしょうか。

『宮下孝晴の徹底イタリア美術案内』
●第1巻  北イタリア ヴェネツィア・ミラノ編
●第2巻 北イタリア フィレンツェ・ベルガモ編
●第3巻 北イタリア ボローニャ・シエナ編
●第4巻 南イタリア ローマ・タルクィーニア編
●第5巻 南イタリア ナポリ・シチリア編










2009-11-02

ナショジオのガイドブック

私はあまりガイドブックにこだわらないのですが、今年9月の旅では相方のガイドというミッションがあったので、何冊か持っていきました。その中で、ナショナル・ジオグラフィックのこのガイドは、なかなか使い勝手がよく、役立ちました。コンパクトながら要所要所でかなり詳細説明も入っており、ポイントがきちんとおさえられているのと、一人のライターによって書かれているためか、寄せ集め的な通常の情報本でなく、一貫した読み物としても楽しめました。その分、ライターの主観や嗜好が出ているな、と思う記述もありますが、読み物と考えれば、それもまた興味深く、自分の見方と比べるきっかけにもなります。全ページ、コート紙にフルカラーという体裁なので、同じ厚さの通常のガイドブックと比べるとかなり重いですが、内容の充実度がそれを補って余りあると思います。文化や自然を楽しむ旅のガイドにオススメです。

2009-11-01

イタリア語と音楽

10月から始まったNHKラジオイタリア語講座の応用編、

Salotto Musicale~イタリア音楽への招待~

これ、なかなかいいです。ピアニストである講師の関 孝弘さんが、音楽用語やイタリア音楽を通じて、 言葉に込められた感情やニュアンスを解き明かしてくれます。イタリア語をかじり始めた頃、それまで自分にとって「音楽用語」だった語のどれもが、あまりにも日常生活に密着した言葉であることを実感し、ちょっとしたカルチャーショックを受けたことを思い出しました。

forte, piano, allegro, largo...ご存知のとおり、音楽用語のほとんどはイタリア語。「強く」「弱く」「速く」「遅く」などと習い、単に速度記号や強弱記号と捉えてしまいますが、それぞれに多様な感情の世界を内包しています。forte/pianoなら(物理的、精神的に)力強い/ゆっくり、allegroの陽気さ、快活さ、largoのゆったりとした感じ…などなど。言葉のもつニュアンスを知っていれば、音楽表現もずっと深みを増します。

幼き日、ピアノを習っていた頃、これらの「音楽用語」がイタリア語でこれほど日常的な言葉だとは知る由もありません。あの頃、これらの語がもつ世界を知っていれば、子どもなりにもっと感情を込めて弾くことができただろうなあ、ピアノの練習がもっと楽しかったかもしれないなあ…と今にして思います。

番組で流れる音楽の数々も、イタリアの澄み切った空気と煌めく光を感じさせてくれて、とても気持ちよい。イタリア語学習が目的でなくても、音楽の好きな人、イタリアを感じたい人にはオススメです。NHK語学番組サイトで、前週の放送分を聴くことができます。お試しあれ。

NHKラジオ まいにちイタリア語 (応用編は木・金の放送)

2009-10-31

「日本語でどうぞ」


経済面的プレゼンスが落ちたとはいえ、まだまだ健在?
ヨーロッパ諸語に混じって、ひときわ大きく
日本語でどうぞ


宝石・貴金属店が並ぶPonte Vecchioにて(Firenze)

2009-10-30

何の願掛け?

 

フィレンツェはヴェッキオ橋Ponte Vecchioの、ベンヴェヌート・チェッリーニBenvenuto Cellini像(だったと思う)の囲い柵にびっしりと掛けられていた錠前。1個1個に名前が書いてあったことからして、何かの願掛けでしょうか?

2009-10-29

イタリアの公務員改革

職場で過去の新聞をチェックしていたら、こんな記事を見つけました。  
イタリア:公務員給与 国民監視で格差導入へ…行政刷新相  
(2009年10月18日付毎日新聞) 

レナート・ブルネッタ行政改革担当相による公務員制度改革、なかなか好評のようです。
「まだだ。まだ終わらんよ」イタリア行政改革担当相の公務員改革は本気

>「公務員のサボりは許しません」という彼の強行な姿勢が功を成し、
>就任3ヶ月後の調査では、国家公務員の病欠が37%減り、
>「ブルネッタ効果」と評判になった。

この「病欠」の実態がどのようなものか、イタリアの休暇制度について知らないので、わかりませんが、ヨーロッパ諸国ではいわゆる有給休暇とは別に、(取得日数に制限のない?)病欠があり、風邪などの場合は(有給でなく)病欠を取る、というような話を聞いたことがあります。そうだとすれば、この「病欠」制度を悪用してズル休みする人が多かった、ということなのでしょうか。それにしても、37%減とは…!

スローな仕事ぶりは公務員も民間も大差なさそうですが、税金から給与が出ている分、公務員に対する国民の目はより厳しくなるのでしょう。近年、日本の役所が窓口対応なども非常に丁寧かつスムーズになっていることを考えると、日本のお役所って世界一では、と思えてきます。

2009-10-28

これは便利―ドコモのケータイ充電コーナー

ローマ三越地階のドコモ・ケータイ充電コーナー。充電器を持っていったはいいが使えなかった私(国内専用なのを確認せずに持っていった)、重宝しました。

2009-10-27

旅の余韻を味わう


フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局で買った食料をちびちび食しながら、イタリアの余韻にひたる。ヒマワリのハチミツ、ミックスベリーのジャム、栗のペースト。



雑誌でもおなじみの薬局の内部は、クラシックそのもの。しかし、通りに面した入り口は、内装からは想像もつかないほどアッサリ。素っ気ないぐらいで、見逃してしまいそうでした。

2009-10-26

1日1イタリア

Ciao a tutti! Piacere. Sono ALBA. Abito ad Osaka, Giappone.
これは、イタリアを愛する大阪人ALBAが、イタリアに関係のあるコトを何でもいいから1日1コ書くという、極私的なブログです。動機は、イタリアに行きたいけれど、なかなか行けない日々の中で、とにかく毎日何かイタリアとのつながりを感じていたい、というだけなので、話題はイタリア語だったり、旅の思い出だったり、美術だったり、音楽だったり、映画だったり、本だったり、料理だったり、スポーツだったり、新聞ネタだったり…風のごとく気の向くままに動きますが、ただただ「イタリア」だけを枠組みに、思いつくま、つれづれなるまま、つづります。イタリアを愛する方、イタリアに恋している方、イタリアにハマってしまった方etc.どうぞよろしく。

2009-10-22

東の都で美学会―Art, Social Inclusion, Globalism雑感

10月初めの芸術療法学会@東北福祉大(仙台)に続き、10/10~12は美学会@東大でした。いろいろとサプライズ演出のあった前者と違い、後者はいたってオーソドックスな学会でしたが、久しぶりに大学時代の先輩や後輩に再会し、個人的には楽しい3日間でした。特に最終日(10/12)の午後に行われたパネル「芸術とグローバリズム」は興味深く、いろいろ考えさせられました。音楽学(中川真氏)、現代美術(池上裕子氏)、演劇(平田オリザ氏)それぞれの専門家から、グローバリズムと無縁ではありえないアートの状況が語られましたが、いずれのジャンルにおいてもアートと社会包摂(social inclusion)的な活動の距離が縮まっているとの印象を受けました。イギリスのホームレスオペラ「ストリートワイズ・オペラ」の紹介や、アメリカの美術家ロバート・ラウシェンバーグが1980年代に中国他で行った国際的なアートプロジェクトROCI(ロッキー)の検証、日仏の演劇事情・文化政策の比較など各発表は個々にも面白く、通して聞くと、グローバリズムの中でヘゲモニーをもつ文化圏(例えば現代美術ならアメリカなど)とそうでない文化圏において異なるグローバリズムの様相が浮かび上がり、文化とヘゲモニーを考える上で興味深い視点が得られました。

グローバリズムといっても世界中の文化が均等にミックスされた平均値ではなく、その中で主導的なポジションを占める文化圏があります。今日の世界では、言語ならビジネス、学術、テクノロジーなど多くの領域において、英語がヘゲモニーをもっていることは否定のしようがありません。これはもはや是非を云々する段階ではなく、それに対してどういうスタンスを取るかという問題になっています。日本であれば、日本語圏だけでも社会・経済生活は成り立つので、英語に完全に背を向けることも個人としては可能でしょう。しかし、世界というフィールドに出て行こうとするならば、コミュニケーションツールとしての英語や、英語圏の文化に根ざすロジックを身につけなければ、勝負の土俵の上ること自体できません。その意味で、英語圏に生まれつくことは、非英語圏に生まれつくよりも明らかにアドバンテージが高いのです。アートの世界でも、そのジャンルのヘゲモニーをもつ文化圏出身のアーティストと、そうでないアーティストとでは、制作や発表をとりまく環境などに様々な違いがあるはずです。グローバリズムという現象は、すでに趨勢としては抗いがたい既成事実となった感があるためか、十分に検討されまま何となく流されたり、感情論的な反応に走りがちですが、足元の現実の事象や将来展望と照らし合わせながら、個人が、社会が、国家が、どういうスタンスを取るのか考え、選択していくべきものであろうとの認識をあらたにした次第です。

2009-10-06

杜の都でアートセラピー―芸術療法学会@東北福祉大学

しばしイタリアから離れて、日本の東北、杜の都へ。
10月3・4日(土・日)、東北福祉大学(仙台)で開催された芸術療法学会に行ってきました。今大会(第41回)のテーマは、「芸術療法に求められるもの―よみがえる生命力」。ダンスを取り入れたperformance-orientedなオープニング・スピーチ(ステージ!?)で幕を開け、個別の研究発表、実技発表(体験参加型)、講演会、シンポジウムまで、個々のプログラムが相互に緊密に関連しあった2日間でした。通常の学会とかなり趣向の異なる展開、心身両面への刺激の多い内容に、今なお朦朧感が残る身体感覚を引きずっています。


JR「東北福祉大前」駅&福祉大のキャンパス(駅の目の前) 
駅は単式ホーム(上下線共有)の小さな駅。最近できたそうです。
キャンパスはいくつかあり、野球部員たちが案内・誘導係として随所に立っていました。 
 福祉大の野球部は有名で、金本や矢野、大魔神佐々木などの出身校。


芸術療法学会は、もともと精神科医が中心となって設立されたようで、今も会員の半数以上が医療系、その次に臨床心理士など心理学系、そしてその他という構 成のようです。一口に芸術療法といっても、ジャンルは絵画、音楽、演劇、ダンス…と幅広く、参加者も医師、研究者、カウンセラー、セラピストなど多岐にわたっています。芸術に関連しますが、(私のように)美学・芸術学畑出身の参加者は、ほとんどいないと思われます。私は会員ではないのですが、NPOの活動に大いに関係があるし、仙台にも行ってみたかったので(←これがホンネかも!?)参加しました。


オープニング風景

学会全体がstimulatingで、枠に収まりきらない豊穣さを内包していました。これは、日本の心理劇(サイコドラマ)の第一人者で、今大会の会長を務められた増野肇先生(ルーテル学院大学)の発想とプロデュース力に負うところ大であったと思います。濃密な2日間のプログラムの中でも、とりわけ舞踏家・大野慶人氏の講演会は感動的。これ一つだけでも、十分に参加した甲斐があるほどのものでした。講演会場はホールではなく、大きめの普通教室、フロアには段差もなく、椅子が講演者をぐるりと囲む形で配置されたしつらえ。ごくまじかで大野氏の言葉を聴き、動きを見ることができる、ある意味でとても贅沢な空間でした。
大野氏はあいにく喉を痛めておられ、大きな声が出せないので、パフォーマンスを交えながら小声で語る大野氏の言葉を、コーディネーターの町田章一先生(大妻女子大学/ダンスセラピー)が拡声器代わりに伝えるという形で進められました。が、そのかすれた小声がすでに大野氏の一部のようで、動きながら話す一連の流れ自体が一つの舞踏作品のようでもありました。話すとき/動くときのコントラスト(目つき、周囲に醸し出す空気感)、シンプルな腕の動きや歩き方の一つ一つの中に込められた内なるメッセージ、体の芯から湧き出る精神性、そして「場をつくる」技の見事さ。無個性な普通の教室が、大野氏の動き、語りによって、固有の「場」に生まれ変わる。周りの(物理的)環境がどんなであれ、固有の空気・固有の精神性をもつ場をつくることできるのだということを体験しました。
もちろん、そのベースには、肉体と精神のたゆまざる訓練があります。強烈だったのは、10分かけてしゃがむ、というもの。10分間しゃがみ続けるのではありません。10分かけて徐々にしゃがんでいくのです。大野氏が、暗黒舞踏の土方巽に会ったとき、やりなさいと言われたとか。少しずつ、少しずつ膝を曲げ、体の重心を下げていく。限界がくる。持ちこたえる。10分かけて、少しずつしゃがむ体勢に移っていくのです。考えただけでも、頭がクラクラしてきますね。他にも、家の中を歩くなど日常の所作を通じて身体感覚を研ぎ澄ませていく方法が具体的に語られ、ほとんどワークショップを受けたといってもよい高密度の1時間でした。

2009-10-01

ウフィッツィで会った有名人

ウフィッツィで世界的有名人にお話をうかがうことができました。

ダンテ Dante Alighieri (1265-1321)
私はフィレンツェを愛してるんだーーーっ。ベアトリーチェを愛したと同じぐらい、深く、強く。だからこそ、わがトスカーナの言葉で『神曲』を書いたのだ!トスカーナ語が諸君の話す標準イタリア語の基礎になったのも、私のおかげだ。世界にイタリア語とイタリア文化を広めるという使命のもと、私の名を冠した協会(*)まであるというではないか。そんな私を、フィレンツェは石もて追放した。故郷を追われ、さすらい人となった私を受け入れてくれたのは、古の都ラヴェンナだ。結局、私はここに骨をうずめることとなる。今、フィレンツェのあちこちに私の像が建っているとは、なんたる皮肉!追放した人間を街のブランドにするとは、たちの悪い冗談かね?
(*)Societa' Dante Alighieriダンテ・アリギエーリ協会


ジョット Giotto di Bondone (1267-1337)

自慢するわけやおまへんけど、西洋美術史で最初に名前が出てくるいうたら、まあワテどすな。先にチマブーエいう師匠もいてはりまっけど。それまでの平らな絵が、なんやダサぁ見えてきてねぇ。立体的な人物表現や遠近法にトライしてみたんですわ。ほんなら、バカウケしてしもて。みんながワテ流に描くもんで、参りましたで。世の中では「ジョッテスキ(ジョット派)」やら言うとりまんな。おかげでワテの真筆かどうか分からん絵も、ようけ出回りましてなあ。でも、ま、マネされるんは人気モンの証ちゅうことで、ありがたいことや思てます。西洋絵画の父とまで言うてもろて、ほんま、おおきに、おおきに。

ペトラルカ Francesco Petrarca (1304-1374)
本業は古典学者なんだが、なんだか山登りで有名になっちゃって。ある日、どうにもたまらなくなって、登ってみたんだよ。ずっと気になってた、あの山に。周囲の白い目にもめげず、登頂したときの感動ときたら…!世界の中心でラウラへの愛を叫びたかったけど、悲しいかな、古典学者のサガがジャマしてしまってね…。だってキミ、自然に感動するなんて、教養人のすることじゃないだろ?でも、キミたちはちゃんと理解してくれたんだね。私の「ヴァントゥー登山」こそ近代登山の始まり、なんて言ってくれてさ。こっぱずかしいけど、嬉しいよ。え?なんで山に登るのかって?そりゃあ、キミ、「そこに山があるから」じゃないか。それ以外に何の理由が必要ってんだい?

ドナテッロ Donatello (1386-1466)
古代に憧れて、ブルネッレスキ先輩と二人、青雲の志を胸にローマへ行ったんだ。なんたってローマは、マニア垂涎の古代遺跡の宝庫。やっぱ、スゴイよ!思いっきり古代の風を吸って帰ってきた僕らは、フィレンツェ・アート界に革命を起こした。先輩は、長い間青天井だったドゥオーモにクーポラをかけるという偉業を成し遂げ、僕は彫刻の世界に新旋風を巻き起こした。僕の≪ダヴィデ≫の若く美しい肉体は、絶賛の的だったよ。僕らは、長らく忘れられていた古代の精神と技法を甦らせたんだ。フィレンツェにルネサンスをもたらしたのは、ブルネッレスキと、この僕ドナテッロ、そして若い画家のマザッチョだ。後にレオ、ミケ、ラファエロってトリオがえらく出世したけど、ルネサンス最初のスターは僕たち3人組。そこんとこ、お忘れなくね。


アルベルティ Leon Battista Alberti (1404-1472)
『絵画論』を書き、遠近法を研究し、諸君の知る西洋絵画を確立したのは、この私だ。音楽や建築、数学、法学、もちろん絵画、彫刻においても、卓越した才能を発揮した。いわば「万能の天才」の嚆矢なのだよ。私の芸術論は、その後の西洋美術の方向を決めたといっても過言ではない。天才といえば、ヴィンチ村だかどこか出身の若造がやたら有名になりおったが、私を忘れてもらっては困る。ルネサンス的人間像というものを最初に示したのは、ほかならぬこの私なのだからな。

レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci (1452-1519)
天才なのよ、ボク。なのにフィレンツェじゃ仕事にありつけなくて。だからミラノ行って、≪最後の晩餐≫描いたの。みんな褒めてくれてすっごく嬉しかったけど、あの絵も僕がいなくなってからは散々な運命でさ。そりゃ、フレスコで描いてればあんな傷むこともなかったけど、フレスコじゃボクのこだわるビミョ~な陰影とか細かなニュアンスが出せないんだよね。それに、ナポレオンが来たときなんか武器弾薬庫にされた上に、通路のドアまで穿たれちゃって。管理がなってないよね。ボクって、イタリアと合わないのかも…。いい仕事は、みんな年下のミケとかに持ってかれちゃうし。結局、フランソワが呼んでくれたから、フランスに行っちゃった。フランスはよかったよ。お城も貰ったしね。だから、お気に入りの≪モナリザ≫はフランスにあげちゃったんだ。今やルーブルのドル箱(ユーロ箱)でしょ。ウフィッツィは今頃くやしがってるだろうね~

ミケランジェロ Michelangelo Buonarroti (1475-1564)
あのヒゲおやじはどうも気に入らん。何やかやと屁理屈こねては、彫刻より絵画の方が優れてるとかホザイてやがる。けど、飽きっぽいアイツに分かるもんかってんだ。石の魅力がよ。オレは石ひとすじよ。石との格闘はロマンだ。絵を描いてるかと思いきや、夢想に取り憑かれて空飛ぶ機械つくったりしてる気分屋に、とやかく言われる筋合いはないね。それに、オレは絵でも超一流だっての。んなこと、システィーナ見るまでもなく明らかだろが。議論するまでもない。そんな暇があったら、オレは石を彫るね。しかし、ヒゲおやじもウザイが、教皇もやっかいだよな。気分次第でコロコロ言うこと変わりやがるし。とまあ、どいつもこいつも鬱陶しいことこの上ないが、石の仕事くれるなら我慢してやる。石彫ってるときだけがオレの幸せだからな。

ベンヴェヌート・チェッリーニ Benvenuto Cellini (1500-1571)
怖いものナシのベンヴェヌートだ。絵画、彫刻、音楽なんでも来いだが、とくに彫金にかけてはオレ様の右に出るものはいないぜ。ゲージュツもやったし、ギャンブルもやったし、女もやったし、ケンカもやった。ついでに、人殺しもやったぜ。道徳なんてクソくらえだ。詳しくはオレの『自伝』を読んでくれ。
【追記】聞き手のイタリア語能力不足による聞き違いや誤訳、および若干の脚色・創作については大目に見ていただき、Noツッコミということでお願いします。