2017-12-13

「中年」考

私は「中年」である。

「中年」―この、いかにもくたびれた「中古」感満載のワード、近年あまり受けがよろしくない。

現代のシニアは、男女問わず元気いっぱい。かつて紛うかたなき「オバサン」だった40~50代女性も「美魔女」モード全盛の昨今、総じてキレイで若々しい。初老にさしかかり、定年退職や子の独立を控えて、しみじみとペーソスの漂う中年像(たとえば小津安二郎の映画に出てくるような?)は、すっかり過去のものになったようだ。

しかし。

世の中が全力で「老い」というものを隠ぺいしようとしているかにみえる今、あえて「中年」という言葉から、人生のこの時期について考えてみたくなった。

今やかつてのような敬老文化はすたれ、単に歳食っただけでは尊敬どころか、お荷物扱いされかねない時代。
一方で、90~100歳のスーパー長寿も珍しくなくなり、それにくらべれば中年ごときはハナタレ小僧。

若さでは勝負できない。
年の功をウリにもできない。

40代後半~50代ぐらいの、いわゆる「ザ・中年」は、何とも中途半端な時期なのである。

「中世」が古代と近代の「間」にあって、長らくその独自の価値を認められてこなかったように、「中年」もまた若年と老年の「間」にあって、自律的な自己規定が難しい時期なのかもしれない。

単に歳月を重ねただけでは、自慢にもならない。過去の蓄積だけを切り売りして生き延びる姿は、イタい勘違いになりかねない。チャレンジャーたることを求められるが、創造的破壊力と前進力の点では才能ある20~30代に及ばない。
かといって、「もうトシだから」と隠居モードにシフトすることも許されない。見上げれば、まだまだ元気な高齢者、超高齢者がワンサカなのだ。

かつて「中年」は、おそらく「老年」の入り口であった。さまざまな社会的役割から少しずつ後退し、次の世代に譲りながら、人生の歩みをスローダウンしていく過程であったのではないかと思う。ライフスタイルや考え方には個人差があるから、一概にはいえないが、少なくとも「世間」が規定する一般的な中年のイメージは、若人よりは老人のそれに近いものであっただろう。

こんにち、「中年」のイメージは大きく変わった。少なくとも外見上、中年期以降のあらゆる年代の人が、昔より確実に若い。行動様式も然り。昔のように「隠居モード」になれないのは、個人の志向と、平均寿命が長くなったゆえの社会的要請の両面があるだろう。

論語には「不惑」「知命」というけれど、目の前にはなお幾多の分岐があり、どの道を行くかでこれから先が変わる局面も多い。しかもその選択は、若い時のような、甘美な無知と幻想に彩られながらも、否それゆえに「なんかワクワク♡」といったような、フンワリした上昇気流気分の選択ではなく、来るべき未来(自分としての終局点)を見すえた上での決断・選択にならざるを得ない。

つまりは、本当に中身が問われる時期だと思うのである。

成熟・円熟と、単なる老化・劣化の違い。

最近よくそんなことを考える。

 ・・・と、こんなことを考えること自体が、midlife crisis(中年の危機)なのか?!

とツッコミを入れたくもなるが(たぶん、そう)、要は世界の見え方が変わってきたということなのだろう。

親の老いは、否応なく自分の行く末を考える一つのモノサシとなる。「まだ若い」と「もう若くない」の中間地点にいる自分と、「もう若くない」エリアにいる親の現在から見とおす自分の未来予想図。それはいつもバラ色とばかりは限らず、突き詰めていくとユウウツになりもする。

しかし、ある意味では、今まで見えていなかった地点から、人生を眺めることができているということなのかもしれない。そして、その時まで生きてこられたということ自体が、実は貴重な体験なのかもしれない。

なにやら抹香臭い予定調和的な締めに流れつつあるが、わが中年ロードはこれからも続く。

「中」の文字は、「中心」「中央」といった意味から、「(上でも下でもない、大でも小でもない)中ぐらい」「中間」といった意味まで、いろいろな含みがある。なかなか深いではないか。いろんな意味で人生の「真ん中」であり、「中間期」である中年。思考と人間性に深みを増すか、ただ経年劣化していくか。大いなる分岐点。人生の骨格を組みなおすときかもしれない。

ビバ 「中年」!

これからあえて「中年」というコトバにこだわりつつ、「中年道」を究めてみようかと思っている。

2017-12-12

楽器&me その1~恐怖のピアノ

人生のかなり初期から、細く長~く、ブランクを挟みながらも、完全に途切れることなく続いてきた音楽との縁。楽器もそれなりにいじってきて、これまでにピアノ、クラリネット、チェロの楽器経験があります。現在は、チェロをメインに、ピアノをちょこっと、クラリネットはすっかりご無沙汰ですが、どの楽器にもそれぞれに思い出と思い入れがあるものです。

いずれもそれほど突っ込んで鍛錬したわけでなく、今もそれほど気合いを入れて稽古しているわけではなく、腕前も大したことはないのですが、ジャンルの違う楽器をあれこれかじってきたというのは、自分の中では妙なウリ(!?)になっており、ここらでちょっと自分と楽器の縁をふりかえってみたくなりました。

まずは、ピアノから。

人生の最も初期に出会った楽器であり、最も苦い記憶に彩られた楽器でもあります。

ピアノをいつ始めたか記憶はありませんが、3歳ごろのようです。そんなに小さいころから習っているのなら、さぞ上手かったのでは?と思われるかもしれませんが、早くから始めた割には大して上手くもありませんでした。実際ピアノの練習をするぐらいなら宿題をするほうがよっぽどマシで、学校から帰ったら最優先で宿題。それは、ピアノの練習をしない、自分なりの正当な理由づけでした。それほどピアノが苦痛だったのには、理由があります。父親がピアノの先生だったからです。

父は音楽の教師でしたが、(家族に対しては)たいへんコワい人でした。理念的に厳格とかいうのではなく、感情的に怒るタイプで、怒ったときの剣幕もすごい。レッスン風景だけ見れば、ベートーベンのオヤジ並み!?だったかもしれません。

学校の友だちはよく「(お母さんはよく怒るけど)お父さんは優しい」と言っていましたが、うちの父はとにかくコワかった。そんな父のレッスンは苦行以外の何物でもなく、特にピアノに適性も愛着も感じていなかった私には、なおさらでした。

もっとも、ピアノを習っていた友だちは、たいてい先生は怖いと言っていたし、ヒステリックに怒鳴ったり、ピシャリと手を叩いたり、練習ができていないと追い返したりする先生というのは、当時はあまり珍しくなかったと思います。

それよりも私にとってキツかったのは、レッスン以外のとき、自分で練習をしているときも、父がその一部始終を聴いていることでした。ピアノを弾くときはいつもビクビク、胸はバクバク。間違ったりすると速攻飛んできて、そのままガチンコレッスンになってしまうし、楽しいどころではありませんでした。

レッスンはキョーフ、自主練もキョーフ。

ピアノを習いたくても習えない友だちもいたので、そんな人からすれば私の境遇は恵まれていたかもしれませんが、私にとっては苦痛の源泉、恐怖の源泉。まさに「音が苦」でした。

中学生になって部活(テニス)が忙しくなると、(それを口実に)だんだんとレッスンの間隔も疎らになっていき、中学2年生ごろには完全フェードアウト。以後30年以上、まともにピアノを弾くことはありませんでした。音楽そのものを嫌いにならなかったのは、せめてもの救い。しかし、苦痛と結びついた「ピアノの記憶」は、長らく私の心にとどまり、音楽へのアンビヴァレントな態度と感情を形成することになります。

ピアノは、自分の中で「封印された楽器」になりました。

そして、その封印が解けるには、実に30有余年の歳月が必要だったのであります。

ということで、次回は続・ピアノ編!
…をひとまずワープして(何しろ30有余年ですゆえ)、青春のクラリネット編です。

2017-12-05

あたらしい手帳

12月から新しい手帳を使い始めました。
11月はじまりのジブン手帳を。

もう一つのほぼ日手帳は、きっかり1月はじまりなので、もうしばらくスタンバイです。

新しい手帳のワクワク感。

まっさらな手帳に書き込む緊張感。

まっさらの紙に書く〔描く〕という行為は、意外と緊張感を伴うものです。

アートワークショップなどで、白い紙だと緊張して(うまく描かなければという気になってしまって)、なかなか描けないという人もいます。そんなときは、あえて新聞紙や裏紙を使ってみるのも一つ。描くことへのハードルがグンと下がります。

手帳やノートも同じで、おろしたての頃は、キチンと、キレイに書こうという意識が勝ってしまって、かえってアクティブに使えなくなりがち。日々使い込んでいくうちに、そんな呪縛も解けて、まさにジブンの手帳になっていく。そのプロセスもまた、楽しみです。

一足早く新しい手帳をおろし、師走のうちにある程度trial & errorで使い込んで、年が明けるころには文字どおり「ジブン手帳」になっていると良いなぁ。

2017-11-26

A級テチョラーへの道!?

来年の手帳。
嬉しがってまた(性懲りもなく)2冊使いです。
濃ピンクが「ジブン手帳」。黄色が「ほぼ日手帳」。
いつまで続くか見もの(笑)
しかし、どちらも初めてなので、ちょっとワクワクです。
 
中身はこんなの。
手前のバーティカルが「ジブン手帳」。
下のフリーなタイプが「ほぼ日手帳」。

来年こそは、カッコいいテチョラーめざせ!!!

2017-11-08

継続は力なり

「ほぼ日手帳」の購入をきっかけに、「ほぼ日刊イトイ新聞(略称 ほぼ日)」の存在を知った。
http://www.1101.com/home.html

コピーライターの糸井重里が主宰、株式会社ほぼ日が運営するウェブサイトで、毎日更新されている。Wikiによれば、「日刊」ではキツイだろうということで「ほぼ日刊」と銘うったらしいが、結果的に1998年6月6日の創刊から今日まで、一日も休まず更新されているそうだ。糸井氏自身も毎日トップページに“エッセイのようなもの”を執筆、掲載している。

ほぼ20年間一日も休まず…このことだけで敬服至極。以来「ときどき」読んでいる。(私の場合、単にアクセスするだけでも「ほぼ日」にも至らない。)

以前に参加したマインドマップのセミナーの講師も、数年来毎日メルマガを配信していると言っていた。土日だからとか、風邪を引いたからといって休むと、かえってペースが乱れて(再開するのが)しんどいから、と。

何であれ、一日も休まず続けるというのは大変なことだ。どんな些細なことであっても、である。高熱を出してフラフラの日もあれば、終日外出で時間が取れないこともある。書き物なら、どうにもネタが浮かばないこともあるだろう。そんなハンディを乗り越え、「今日一日ぐらい休んでも…」という様々な誘惑を退けて、どんな条件下でも決めたことを、それも長年にわたって実行し続ける。

若い頃は、これをやって成果があるのか、どのぐらいの成果が期待できるのか、ばかりが気になって、実行する以前に「見込める成果」を予測することに気がとられていた。小さなことの積み重ねが未来をつくる、と言われても、頭でわかっていても、実感が湧かなかず、継続へのモチベーションを維持することができなかった。しかし、昨今は、良きにつけ悪しきにつけ、日々の積み重ねが今を作っていると実感する局面が増えたのだ。特に「悪しき」方について。

年齢を重ねるにつて、大なり小なりバグというか、心身の不調やこれまでのやり方に不都合が顕在化してくるものだが、その元をたどっていけば、長年の間違った、不適切な習慣・方法に気づかされることが少なくない。食事、睡眠、姿勢、歩き方、呼吸から、ものの見方・考え方まで…それらはたいてい無意識にやっていて、何かの不具合を自覚したときに初めて見直す必要に迫られる。しかし、いったん身についた不適切な習慣や方法を正常化、最適化するのは、大変なことなのだ。

そして、ふと思い至った。

継続は力なり。

不適切な行動や習慣の積み重ねが、望ましからざる結果を招来する。裏を返せば、適切な行動や習慣の積み重ねこそ、望ましい結果への王道なのだ。100パーセントではないにしても、人間の営みの中で、小さなことの積み重ねがもつ重みは、思っていた以上に大きい。

ものすごい偉業でなくとも、どんな小さなことでも、毎日何かを続けている人、続けられる人には、心からの敬意を覚える。ミドルエイジど真ん中になって、ようやくその重みと凄さを実感するようになった。もっと若いころから実行していれば…という悔悟もないではない。

しかし、思い立ったが吉日。

今日からでも、倦まず弛まず、今日積むべきレンガを積み上げる人間になりたいと思う。

2017-11-01

手帳の季節

ら手帳のシーズンがやってきた。
毎年この時期になると、大型書店の手帳コーナーをウロウロしながら、アレでもない、コレでもない…と気がつけば1時間近くも物色する日が増えてくる。
実は未だに定番が定まらぬ手帳ノマドである。

手帳の目的・用途は、大きく次の二つがあると思う。
①スケジュール管理
②行動や思考・アイデアの記録、ライフログ

かつて自分にとって、手帳の用途は、ほぼ①に限られていた。しかし、スケジュール管理がほぼスマホにシフトしてしまった今、①の目的で手帳を使う必要性はガクンと減ってしまった。

スケジュールは、何度も書き変えることが多いので、更新・修正が容易なデジタル端末、とりわけ外出時にほぼ携行しているモバイル端末は、スケジュール管理には紙よりも便利だ。実際、手帳をほとんど使わなかった数年間がある。

しかし、手帳の意義は、スケジュール管理だけにあらず。
思考や行動の記録もまた、手帳の大事な機能だ。

②は、日記(Diary)に近いものだが、自分の中では「日記」というと、心情吐露に傾きがちなこと、また、それなりの分量を書かなければという強迫観念にかられることもあり(それは日記帳の“大きさ”によるところが大きい)、さしたる特記事項が見当たらなかったり、まとまって書く時間が取れなかったりすると、たいていそこからフェードアウト一直線である・・・

一方、大そうな心情吐露ではなく、ちょっとした思いつき、何かを見たり読んだり体験した感想など、その場ですぐに書き留めたいと思うことがらもある。家に帰って、机に向かい、日記帳を開いて・・・それまでに、印象も書く意欲も薄れ、失せてしまうものだ。そういうときに、コンパクトな紙の手帳があれば重宝する。

また、近年、自己マネジメント力強化のために、自分の思考や行動を記録する必要性を強く感じていることもあり、ここ2~3年手帳マイブームが復活。コンパクトかつハンディにして、必要十分な記述スペースをもつ手帳を探し求めて、年末の足音が聞こえてくると手帳売り場をさすらっている。

今年は、こんなのを使っている。

使い勝手そのものは悪くないのだが、いかんせん風貌に華がなさすぎる・・・地味〜な紺のカバーがいかにも「事務用品」で、残念ながら持つ喜び、使う愉しみがない・・・(手帳よ、すまぬ。)中身は決して悪くないのだが、カラーバリエーションの少なさはリピートへの欲求をダウンさせてしまう・・・

というわけで、本日、2種類の手帳をネットで注文した。
①ほぼ日手帳planner(A6サイズ)
②ジブン手帳mini(B6スリムサイズ)

①は、去年も気になっていたのだが、気づいたときにはすでに、めぼしいデザインは売り切れていたのだったと思う。たまたまネットを見ていたら、今日が発売日ということで、直販サイトで即買い。

②は、今の手帳とフォーマットは似ている(バーティカルタイプ)が、曜日によって色分けされているのと、DIARY(1年)、LIFE(一生)、IDEA(メモ帳)という3分冊仕様が気に入って、やはりネットで即買い。

それぞれコンセプトやフォーマットが違うので、いい具合に使い分けができそうな気がする。届くのが楽しみである。

2017-10-25

ハイジ考

昨年、CSで深夜に連続放映されていた「アルプスの少女ハイジ」を全話視聴した。自分の世代には大変懐かしい、あのカルピス劇場である。子どもの頃にも全編見たはずだが、大人になった今だからこその発見が多く、このアニメの奥深さに驚いた。たまたま第1話を見たことから病みつきになり、寝不足を気にしながら連日連夜イッキ見してしまった。

端的に言えば、この物語の中に「自然」と「文明」のせめぎ合い、そして「子ども」の人間形成についての作者(あるいはアニメ制作者)の思想、という一貫した大きな底流を見たのである。

全編見終った後は無性に原作が読みたくなり、原作(翻訳)を購入。しかし、まずはあえて原作を読まずに、アニメだけを見た気づきと感想を書き留めておきたい。それからあらためて原作を読み、それらが原作に依拠するものか、アニメ独自の解釈によるものかを検証したいと思う。

発見1.ペーターは働く少年だった

 第1話を見るなりハッとしたのが、このことである。しかも、すごい重労働。10歳かそこらの少年が村じゅうの山羊を集めて、毎日一人で山を登り降りしているのだから。

 アニメでもそのことをさりげなくにおわせている。ハイジと一緒に山に登り、ハイジはハイテンションではしゃいでいるが、ペーターは草の上に寝転がるなり眠ってしまう。そこへ、「無理もありません、それだけ大変な仕事をしているのです」というナレーション。

 ペーターは山羊飼いだから働いているのは当然なのだが、子どもだった自分(たしか小1)には「労働する子ども」としての側面は全く見えていなかった。「家のお手伝い」程度でなく、あれだけの責任を負って働いていたということに、今さらながらに驚愕。

―そうか、ハイジのボーイフレンドというだけじゃなかったのだな・・・。

 「少年」ペーターに課せられた大人並みの役割と責任の重さを再認識した次第。

発見2.ロッテンマイヤーさんはいい人だった

 もう一つの大発見が、これ。木で鼻をくくったような融通の利かなさ、過剰なまでの厳格さ、そして動物を見ては「ケダモノ~」といって卒倒するオーバーアクションで、子どもの目には「意地悪な人≒悪い人」のカテゴリーに入っていたロッテンマイヤーさん。話が進むにつれてじわじわと、大人eyeで見てもっともイメージが変わったのがこの人だったのだ。

 まず、自然や動物に対するあのような反応は、当時の教養ある都会人の間では一般的な考え方であっただろうということ。したがって、自然のままに育った無教育な野生児(とロッテンマイヤーの目には映ったに違いない)ハイジに対する彼女の態度もまた、特別に不可解なものではない。否、むしろ名家の令嬢の教育係という彼女の立場を考えると、至極当然のものであろうということだ。

 人間でも自然でも、「あるがままに」というあり方に肯定的な価値が見出されるのは、ヨーロッパではせいぜい18世紀以降のことである。とりわけアルプスのようなとてつもない大自然は、人が容易に近づけるところではないだけに、恐ろしく、得体が知れず、おぞましくさえある存在であった。大自然と共生するエコロジカルなライフスタイルは、現代でこそ尊ばれるものの、当時は「野蛮」や「未開」と紙一重の奇矯なものだったわけで、文明の象徴のごとき大都市フランクフルトで、街いちばんの名家の令嬢の教育を一手に引き受けているロッテンマイヤーさんとしては、決して容認できるものではないのは想像に難くない。クララを名家の令嬢として相応しい女性に教育しなければという責任感はもちろんのこと、その相手を務めるハイジをもクララに相応しい子として躾けなければ、とシャカリキになるのも無理からぬことなのである。

 そのロッテンマイヤーさんのセリフにたびたび登場するのが、「何かあったら誰が責任を取るんです!?」というひと言。大人になった今となっては、この言葉に込められた意味合いや背景もまた、十分すぎるほどリアルに想像がつく。
 クララはフランクフルトきっての名家ゼーゼマン家の一人娘で、母はすでに亡く、父は多忙でほとんど家にいない。つまり、身近に彼女を躾けたり愛情を注いでくれる肉親がいないうえに、病弱な少女を、名家の名に恥じない教養と品格をもった一人前の女性に育て上げるという重責を、ロッテンマイヤーさんは背負っているのである。

 父親のゼーゼマン氏はなかなかの人格者だが、ロッテンマイヤーさんが何かあれば責任を問われてクビを切られる身分であることに変わりはない。慎重になりすぎて何でもかんでも禁止しがちな彼女の姿は、現代の大人と比べても特に異常なものではないと言える。

 さらに、ロッテンマイヤーさん、実は彼女なりにクララのことを思い、愛しているのだ。ハイジと仲良くなるにつれ、だんだん気が強くなり、ロッテンマイヤーさんにも反抗するようになるクララ。そのクララがどうしてもやりたいと主張することに対して、最後は聞き入れてあげるのだ。近郊の森へピクニックに行くことも、ついにはアルプスへ行くことも、最初は強固に反対するが、結局はロッテンマイヤーさんが譲歩する形で実現するのである。
 最終話では、フランクフルトの家で懸命に歩行練習に励むクララに付き添い、「ずいぶん上達なさいました。これならアルムの山へもおいでになれます」と励ます。ああ、ロッテンマイヤーさん、クララを愛してるのね?と実感したエピソードだった。

発見3.子どもはどう育つべきか―子どもの人格形成に関する二つの思想

 アルプスの大自然に抱かれて育った自然児ハイジと、文明化された大都市フランクフルトで上流階級の女性として養育されるクララ。ヨーロッパ人が理想としてきた人間のあり方は、むろん後者だ。自然のままに、躾らしい躾も受けず、学校にも行っていないハイジは、いわば人間が住むべき世界の周縁に生きる存在。しかも、ハイジが暮らしているのは、アルプスの村人たちにさえ「あんな山の上に住んで…」と変人扱いされているアルムおんじの家。ハイジをおんじに預け、フランクフルトへ働きに出たデーテおばさん(ハイジの叔母)が、こんな田舎でなくフランクフルトで働けて嬉しい、ハイジもここで教育を受けさせたい、と考えているのとは正反対に、確信犯的に共同体に背を向けて生きるおんじの姿は、当時の田舎の人々の感覚からしても、かなりヘンコな、常識はずれのものだったのである。

 正反対の生育歴をもつハイジとクララが出会い、バックグラウンドの違いを超えて友情を育み、互いの世界に歩み寄りつつ、成長していく。彼女らにかかわる周囲の大人たちもまた、ぶつかり合いながら少しずつ変化し、相反する価値観が互いに歩み寄っていく。ハイジとクララという二人のキャラクターに仮託されたのは、子どもの人格形成に関する異なる二つの考え方なのである。

作者のヨハンナ・シュピーリはどう考えていたのか。おそらく、その両者の統合を志向していたのだろうと思う。そのへんのところを、原作を読んで探ってみたい。

2017-10-21

わがネット生活をふりかえる

気がつけば、電子メールやインターネットを使い始めて20年ほどになる。

正確に(西暦)何年から使い始めたか、もはや分からないが、初めてPCを買ったのが大学院修士課程のころだったと思う。それから2~3年して電子メールやらパソコン通信やら始めたのではなかっただろうか。

初めてのPCは、Macintosh LC630。当時、ずいぶん安くなったとはいえ、今と比べればパソコンはまだまだ高く、リーズナブルなLC(=Low Cost)でも、モニターやキーボード、プリンタなどの周辺機器を合わせると、値引き後価格でも30万円ぐらいした。定収入なく低収入な学生には、大きい出費だった。それでもパソコンを入手したときは無邪気に嬉しく、暇さえあれば意味もなくいじって遊んでいた。あのころまだパソコンは、自分にとって「遊び」のツールだった。

ほどなくして友人から、「電子メールやれば?」という誘いをたびたびもらうようになった。

うぬ?電子メール?
よう分からんが、面倒くさいんちゃうんかなー・・・
月々の通信費も嵩みそうやしなー・・・

てな感じで、しばらく放置していたように思う。

ようやくモデム(ピープルプルのアナログ回線)を買って、ネットワールドに繋がってみると、そこからパソコン通信(レトロスペクティブ!)の輪にハマり、やがて自分でホームページを作るようになり、いろんな掲示板で共通の趣味の人と知り合い、時にはオフ会もして・・・

当時、イタリアへ行きたくて(今も行きたい)、毎年のようにイタリアへ行っており、できれば移住したいとまで思っていて、その思いから旅のホームページをつくり、「アモーレ・イタリア」を共通項に、ネットを介していろいろな人と知り合った。

考えてみると、ネット生活黎明期のあの頃が、自分史上もっともオンラインにおいてアクティブだったと思う。ちょうど安定した仕事を辞めて次の道を模索していた頃で、時間があり、漂泊気分いっぱい。リアルではやや引きこもりっぽいライフスタイルでもあり、ネットでの繋がりに支えられていた部分もあった。

その後、新しい仕事を始めてオフラインが忙しくなると、それに反比例してオンラインに割く時間と労力は低減。ホームページの更新もジリ貧に。職場にもPCが普及し、パソコンはもはや愉しき玩具ではなく、単なる仕事道具となり、休みの日にまであえて見たくはないシロモノになっていった。

その後ブログが主流になり、SNSが登場し、通信費は定額制でどんどん安くなり、メモリー容量もMBからGB、TBへと幾何級数的に増大し、タブレットやスマホの登場で、少なくとも通信目的でPC端末にアクセスする割合はずいぶん減った。

大学時代までは遠方の友達とも「手紙」でやりとりしていたが、今や「手紙」、特に「手書き」の手紙を書くことは本当に少なくなった。(ほぼ皆無に等しい。)将来有名人になっても、往復書簡などというハイブロウな知的遺産は残らないだろう(笑)。

メールでもずいぶん(自分なりには)深イイやりとりをしたと思うが、アプリケーションが変わったり、記録媒体が変わったりで、仮に保存していても今では読み出せなくなっているものが多い。サイバー空間のどこかにデータは残存しているかもしれないが、少なくとも手元に、いつでも参照できる形では残っていない。

その点、紙はスゴイと、最近あらためて思う。

保存状態さえ良ければ千年、2千年もつし、それが現存する限り、いつの時代になっても同じ形で参照できる。メディアの盛衰に合わせて記録媒体を移し変える必要はない。

本にしても、電子ブックリーダーも持っているが、なかなか紙の本の完全な代替にはならない。電子辞書も然り。単に世代の問題もあるだろうが、本はやはり紙の本のほうが読みやすい。(ページをめくる時にラグがないことが大きい。)

場所を取ることと、焼失のリスクを除けば、紙の発明は今なおデジタルメディアに勝る人類の発明ではないかと思ってしまう。ペーパーレス化は進むだろうが、全くなくなることはないのではないか。(将来的にはさらにsuperなメディアが出てきて、紙を駆逐することもあるかもしれないが。)

そして、ここに至って「紙に手書きする」ことの味わいをしみじみ感じるようになってきた。仕事の文書作成は、もはやPCなしにはできなくなってしまったが、最近また日記をつけるようになり、ブログやツイッターとは違う、内面と直結した思考や感情の吐き出しには手書きの方が断然勝っていることを実感している。

ネット生活をふりかえっていたら、ペーパー礼賛に着地した。
めっきり使わなくなった万年筆などもリバイバルしそうな今日この頃である。

その文章を、PCで書いて、ネットに上げている。

That's 現代.

駄文御免。

2017-10-19

「です・ます」か「だ・である」か?

語尾の話。

「です・ます」調か、「だ・である」調か。

私はもともと「だ・である」の方が好き、というか、慣れていて、筆が進みやすい。

なので、かなり昔に作っていたホームページ(ブログやSNSではない、いわゆるHTMLで書くホームページ)でも、文章は基本的には「だ・である」調だった。

しかし、、、

ブログになると、どうも「だ・である」調がそぐわない気がして、このブログも基本的には「です・ます」調で書くことにしている。ブログには、書き言葉然とした「だ・である」より、人に語りかけるような「です・ます」の方がしっくりくるように思えるからだ。あまたある他のブログでも、「です・ます」調の文章が多いような気がする。(調べたわけではないので、あくまで印象)

しかし、、、

自分としては、書きにくい。筆が進みにくい。

よって、更新が滞る。。。

オチはそれか?!

というのは、何ともおそまつだが、語尾は、内容と別の次元で文章全体の印象を左右するので、毎度けっこう考えてしまう。

と、ひとりごちつつ、久々に「だ・である」調で書いてみた。

うむ。ひとり言には、「だ・である」がしっくりくるな。
(丁寧語でひとり言をつぶやくことはないし。)

そういえば、SNSも「だ・である」で書くことが多いような。
(SNSの投稿はひとり言の延長みたいなものか。)

ともあれ、私には、「だ・である」の方が書きやすい。
これからブログでも、「だ・である」の頻度が上がるかも。

いや、ブログの頻度が上がる…か…も?!

駄文御免<(_ _)>

2017-05-07

2017年も半ばにさしかかり…

1年半ぶりの投稿です。
謹賀新年メッセージを書く間もなく立春をすぎ、4月に新年度メッセージを書こうと思いながら、早ゴールデンウィークも終わろうとしています。2016年の投稿はonly one。もはやAnnual reportの感を呈していますが、今さらながらでも2017年の展望は書いておこうと、連休の終わりにキーボードを叩いています。

まず2016年の検証。

1.ホンキで朝活 →×
起きる時間は早くなったが、エンジンかかるのが遅い。できる時はできるが、習慣化には至らず。

 2.書籍・資料の整備充実 →○
デスクスペースを見直し、頑丈なシェルフをいくつか投入。キャパは足りませんが、以前よりは快適に。アタマの整理も並行して行うべし。

 3.筋肉をつける →○
一朝一夕には増えませんが、筋トレは生活の一部になりました。骨密度も増加傾向。姿勢も良くなったと思います。今後は有酸素運動も増やしていきたい。

トップに掲げていた目標1がバツなのは残念ですが、永遠の目標でも構わない(笑)自己マネジネントまだまだ改善の余地アリということで、精進あるのみ。

そして2017年の目標。年頭から考えていたことを3つ。


Boston & Grand Rapids (Michigan) にて
1. USAデビュー
ラッキーなことに、これは既に実現しました。今に至るまでUSA(本土)に行ったことがなく、自分の中でそろそろ行きたい、行かねばと思っていたところへ、興味深い社会起業家スタディツアーがあることを知り、3月下旬に行ってきました。今の目標は、今年中にもう一度行くこと。目下とある研修プログラムに応募中。採択されれば、ボストンで1ヶ月の研修を受けられます。運命の女神よ、いや自由の女神よ、微笑んで!!

2. Excercise Daily
毎日訓練すること。特に仕事に直結するマター、具体的にはwritingです。近年「書く」と言えば助成金や企画コンペの申請書ばかり書いている気がしますが(苦笑)、エッセイや論文も書かないといけません。そのために自分の内からの言葉や思考を表現することと向き合いたいのです。
ついでに趣味の音楽も。。。(ボソッ)

3. Enjoy myself
アメリカでもっとも印象的だったこと、それは現地の社会起業家たちのstrongly positive & optimistic attitude。自分のしていること、しようとしていることに対する強い確信。そのベースにある、物事を心から enjoy するエネルギー。(自分も含めて)日本人はつい言う前、やる前から何事も引き算して考えてしまう傾向にあります。それは謙虚さとも言えますが、一方で無用なことでもあります。強く願っているからといってす、実現するわけではないでしょう。しかし、強く願わなければその時点で既に諦めたも同然。実現云々以前に、徹底的にenjoy myselfするマインド。これを体得したいです。

他に、具体的なこと。

*スイーツコントロール
それほど甘い物を食べまくるわけではありませんが、好きではあるので、良くないなと思いながらつい引きずられて食べてしまう。血糖値も気になるお年頃であるし、全く食べないというのではなくても、自分の体に合った、健康に良い食べ方を見つけたいと思います。

*旅の記録・記憶の整理
これまで旅先の写真や記憶をフィードバックし、まとまった形にしておきたいと思いながら幾星霜。旅は自分の人生においてとても大事なものなのですが、行きっぱなし、撮りっぱなし。それぞれの土地の印象、自分にとっての意味などを書きとめていきたいと思います。