2018-02-07

楽器&me その2~青春のクラリネット

楽器と自分との関係を軸に、細く長い音楽との縁をふりかえる「楽器&me」シリーズ。

第1弾「恐怖のピアノ」に続いて、第2弾はクラリネットです。

幼少からのコワイ親父レッスンへの恐怖と反発から、ピアノは金輪際ゴメンじゃとばかり、中学生になると、半ば確信犯的にフェードアウトしていきました。しかし、「やめる」とはっきり明言せず、なんとなくズルズルとフェードアウトに持ち込んだことは、自分の中にある種の不全感を残し、一抹のうしろめたさを残したのも事実。それが、高校に入ってクラリネットを始めた遠因かもしれません。

中学時代は軟式テニスをやっていて、高校に入っても基本的には運動系のクラブに入ろうと思っていました。それが、入学した学校にたまたま「オーケストラ部」があって興味をそそられたこと、同じ学校に通っていた近所の一学年上の先輩がオケ部に入っていて、たびたび声をかけてくれたことがきっかけで、なんとなく心が動いて見学に行ったのでした。さらに、小学校時代、仲の良かった友だちのお姉さんが、やはり同じ高校の出身者で、オケ部でヴァイオリンを弾いているという話を聞いていたので、そのころから好奇心を覚えていたかもしれません。最終的には、新入生歓迎演奏会で聴いたベートヴェンの交響曲第8番にけっこうマジで感動したことがキメ手になりました。

正直なところ、実際の演奏を聴くまでは、高校に入って始めた人が主体の部活のオケって、どの程度?…と、かなりいぶかっていました。が、少なくとも私の期待値をかなり上回るレベルではあり、高校から始めても、こんな本格的な曲が演れるのか、と素直に感動したものです。これが吹奏楽だったら、入っていなかったのではないかと思います。部活として一般的な吹奏楽ではなく、高校(しかも公立)にはめずらしい管弦楽であったことが、私には魅力的でした。吹奏楽はともかく、オーケストラというものは基本的にプロまたは音楽専攻の人がやるものだ、という先入観があったからです。

そうして入部を決めたオケ部でしたが、選んだ楽器は弦楽器ではなく、木管楽器のクラリネット。せっかくオケに入ったので弦楽器に心を動かされつつも、もともとクラリネットが専門であった父親への配慮というかというか遠慮というか、そういう気持ちが働いて、いわば消極的な理由からクラリネットにこだわったのでした。(モーツァルトのクラリネット協奏曲&五重奏曲が好きだった、という積極的な理由もありました。)父からクラリネットをやれと言われたわけでも、教わったわけでもありませんが、ピアノを一方的にドロンしたことへの罪ほろぼしというか埋め合わせというか、当時の自分なりの父親への「忖度」だったのかもしれません。(ただし、父にレッスンを受けることは一切しナシ!これはピアノだけで十分。)

そうして、(自分の中で)スッタモンダしながら始まった高校のオケ生活。果たして、まさしく「青春のクラリネット」。自分史上でも最高にオモロイ(おもろすぎる)悪友もとい良き友に恵まれ、素晴らしき先輩後輩に恵まれ、今に続く最強の友人ネットワークの基盤となりました。自分がいちばん気楽に、自由に、ありのままでいられる場所でもありました。

高校から大学にかけての、感性鋭敏(過敏)な、喜怒哀楽に富んだ人生の早春。音楽ライフは、やはり時に「音が苦」。いつもいつも楽しいばかりではありませんでしたが、笑いも涙も悩みも喜びも、クラリネットとともに、そしてオケとともにあったような気がします。アンサンブルの楽しさを知ったのも、このころでした。

もし、この時代のオケ経験がなかったら、幼少からのピアノ経験だけだったら、今、音楽をやっていなかったかもしれません。この後、大学を出てからは、すっかり音楽アウェーな十数年を過ごすことになります。楽器を演奏したり楽譜を読んだりすることはおろか、コンサートに行くことも、CDを聴くことさえも、めっきり少なくなってしまいました。その中でも、「またいずれ音楽をやりたい」という心の火が完全に消えることなく、微かにでも灯り続けていたのは、オーケストラを通じて、大小さまざまなアンサンブルの喜びや愉しみ、(うまくいったときの)感動を経験していたからだと思います。

子どものころに嫌々ながらやっていたピアノは、ソルフェージュや読譜などの基礎をつくるのに役立ったかもしれませんが、音楽が好き、楽しい、という精神的な基盤は、主にオケ経験によって育まれました。幼少期の根深い「音が苦」体験にもかかわらず、音楽への思いが苦痛一色に塗り込められなかったのは幸いでした。

今はケースの中で百年の眠りについているクラリネットたち…いずれまた、怪しい調べとともに呼び覚まされる日を待っているかもしれません。

2018-01-30

旧姓併記パスポートの取得

今般、パスポートの申請・名義変更を機に、旧姓併記のパスポートを取得しました。

パスポートへの別名併記は、現時点では一定の条件のもと、あくまで例外的に認められる措置ではありますが、国際結婚をした人や海外で旧姓を使って仕事をしている人を中心にニーズがあります。かつては国際的に相当著名な学者やジャーナリストでなければ併記は認められませんでしたが、近年はずいぶん門戸が広がってきたようです。

私はずっと旧姓で仕事をしています。晩婚だったこともあり、今なお社会人生活の大半が旧姓によっており、パスポートも昨年期限が切れるまで旧姓のままでした。友人でも私の現姓を知っている人の方が少ないぐらいです。新しいパスポートの申請にあたり、いよいよ戸籍姓に名義変更することになりますが、諸々の便宜を考えて、旧姓を併記しておきたいと思っていました。

手続きの要領(必要な添付書類など)は、申請窓口の都道府県によって多少違うようですが、検索でヒットする体験者のブログ記事は東京都の事例がほとんどで、大阪府で取得した人の記事が見あたらなかったので、参考までに書いておきます。

結果からいうと、大阪府はちょっと拍子抜けするほどアッサリしていました。事前にパスポートセンターに電話をして確認したところ、旧姓使用証明書(旧姓で仕事をしており、業務上海外渡航の必要があることの証明)があればよいとのことでした。勤務先の代表者や所属長に証明してもらうのですが、私は自分が団体(NPO法人)の代表なので、自分で自分を証明することになるが、それでも大丈夫かと念を押したところ、OKとの返答。それで早速、大阪府のサイトに載っている書式例にしたがって書類を作成し、法人の印を押して証明書を作成しました。

これだけで良かったのかもしれませんが、いちおう第三者の証明書もあった方が確実だろうと思い、念のため非常勤先の大学にも旧姓使用証明書を発行してもらいました(大学の書式で、旧姓を使用していることの証明のみ)。実際に手続した感触では、こちらは無くても良かったみたいですが、いちおう提出しました。

体験者のブログでは、役所に言われたとおり書類を揃えていったのに、窓口で足りないと言われた、などの話を散見したので、念のため(上記証明書のほかに)国際会議のエントリーのメールなど証拠になりそうなものも用意して、申請窓口へ行きました。結果的にそれらは必要なく、特に提示も求められませんでした。

都道府県によっては、事情説明書等の提出が必要なところもあるようですが(ex.東京都)、少なくとも大阪府パスポートセンターでは旧姓使用証明書(と口頭での説明)だけでOKでした。

2019年度をメドにパスポートへの別名併記を自由化するとの方針が示されたので、今後はいっそう審査基準も緩和されていくのではないかと思います。
https://www.asahi.com/articles/ASK505634K50ULFA01X.html

もし切り替えのタイミングが来年以降だったら、話はさらに簡単だったかもしれません。原則的には申請のみで併記を認める方針のようですので、そうなれば上のような証明書も余分の手続きも不要になることでしょう。今後の成り行きを注視しましょう。

なお、旧姓併記パスポートの申請や使用にあたっては、下記の点に要注意です。

■旧姓は括弧書きで戸籍姓の横に印字されますが、ICチップには登録されません。よって、航空券予約等の際には、どの氏名表記で予約するか航空会社や旅行代理店に確認が必要です。(旧姓を含めるのか含めないのか、など。)

surname □□□(△△△) ←括弧内が旧姓
name   ○○○

■現在は多くの市町村でパスポートの申請・交付ができるようになりましたが、外務省との協議を要する特殊な案件については、(従来どおり)都道府県の対応になるようです。市の窓口に確認していないので断言はできませんが、旧姓併記はいちおう審査を要する案件なので、おそらく特殊な案件に該当するであろうと推察し、初めから府のパスポートセンターに問い合わせました。(そもそも市町村より都道府県の職員の方が対応件数も多く、特殊案件にも明るいと考えられます。)

■自筆署名では、現姓と旧姓の併記はできません。日本語でもローマ字でも、括弧書きで旧姓を併記したり、複合姓のような形にはできないとのことです。ただし、現姓か旧姓かは、どちらを使ってもよいそうです。よって、現姓 or 旧姓のどちらかで自署することになります。(自己責任のもと)どちらでサインしてもよいと窓口で言われ、混みあうカウンターでしばし迷った末、自筆署名は日本語の戸籍名にしました。

●その他もろもろ、入国審査や宿泊先等で本人確認に関して疑義がもたれたりした場合など、基本的にはすべて自己責任で対応することになります。

いずれにしても現時点ではあくまで例外的な措置ということで、実際にどの程度の実質的価値があるかは分かりませんが(思ったほどメリットがないという体験談もチラホラ…)、少なくとも旧姓と現姓の連続性を証明する公文書ではあるので、国内外を問わず社会人生活のほぼ9割がたを旧姓で営んでいる自分にとっては、一定のご利益はありそうです。

以上、大阪府で旧姓併記パスポートの取得を考えている方へのご参考まで。

※あくまで一個人のケースであり、個別の事情に応じて、提出を求められる書類等が異なる可能性がありますので、旧姓併記を望される方は必ず所管のパスポートセンターにお問い合わせください

<参考>
大阪府/別名併記の取扱い
http://www.pref.osaka.lg.jp/passport/top/betsumei.html
外務省/パスポートQ&A
http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/passport/pass_4.html#q16

2018-01-29

ある別れー伯母の思い出

渦潮で有名な瀬戸内のまちに住む伯母が亡くなった。

その日の朝もいつもどおり丁寧に身づくろいをし、仏壇にお供えをし、いつもどおりの一日の始まりだった。が、仏間を出たすぐの廊下で、玄関に向かい、拝むような姿勢で倒れていたのだという。

行年85。去年の暮れに電話で10分ほど話したのが最後になった。ずっと達者な人だったから、たぶん90までいくだろうと、そんな気がしていた。いとこたちもそう思っていたそうだ。あまりに突然の別れに、一緒に暮らしていた長男一家も驚きを隠せなかったようだ。

「達者な人」

そう、伯母は「達者な人」だった。「元気」とか「健康」とかいうのでは、何か物足りない。働き者で、頭も体もよく動き、何事にも労をいとわない、達者もの。カラッとした性格で、趣味も多く、社交家だった。達筆で、筆まめで、母とはよく手紙のやり取りをしていた。昔ながらの信心深さや義理堅さをもちながらも、職業婦人(レトロな響きだね…)らしく合理的な考え方をする人で、因習の類にはとらわれなかった。そんな人柄を反映してか、葬儀には大勢の人が集まり、合唱サークルの仲間たち(小学生&シニアの混成部隊)は故人のために歌まで披露してくれた。(これには親族一同感涙)

達者という言葉、そういえば最近あまり聞かなくなった。アクティブとかバイタリティとか、そういう言葉に取って代わったのかもしれないが、「達者」という言葉には、単に病気がないとか、活動的というだけでない、生き方の姿勢みたいなものが含まれているように思う。

伯母も年相応に持病や体の不調はあったし、医者にも通っていた。特に近年は腰痛がきつく、つらかったようだ。それでも、伯母は終生「達者」であった。

それぞれ四国と本州で海を隔てて住んでいたから、伯母とも従兄姉たちとも、そうしょっちゅう会えたわけではなかった。本四連絡橋がなかった当時、阿波踊りの季節にほんに1~2日遊びに行くのが精いっぱい。それでも、いとこたちの中でいちばん仲の良かった6つ年上の従姉のいる伯母の家に泊まりにいくのは、夏の最大の楽しみだった。

葬儀に向かう道すがら、小さな島の海岸線を車で走っていると、水着のまま海岸まで走っていって遠浅の海で泳いだこと、井戸水でほどよく冷やしたスイカの甘かったこと、五右衛門風呂やおくどさんのあった古い家の記憶などが次々とよみがえり、それとともに、いつもシャキシャキ歯切れのよかった伯母の姿が思い出された。

あまりに突然の別れで、末期の水をあげたときは涙が溢れ出て止まらなくなったが、本人はひ孫の顔まで見て、ピンピンコロリの大往生。悲しいことも苦しいことも乗り越えて、85年の人生を生ききり、何も思い残すことなく旅立ったと思う。現在の女性の平均寿命からすれば、必ずしも長命とはいえないかもしれないが、今流に言えば、伯母のQOLはきわめて高かった、ということになる。

欲をいえばあともう少し長く生きてほしかったが、これは周囲の煩悩というべきで、本人は十分満足して逝ったに違いない。長年の介護の末に亡くなった親族も見てきたので、この伯母の逝去は、惜別の涙の中にも希望のある、天晴な引き際であった。合掌。

2018-01-16

「生き方」と「生活」

―その人の生き方は読み取りたいけど、
生活を教えてほしいわけじゃない―


家庭料理のレシピ本『LIFE』シリーズの作者飯島奈美さんを囲む座談会での、吉本ばななさんの発言の一部。
http://www.1101.com/life/life_talk/2017-12-18.html

詳細は上のサイトに譲りますが、もう少し長く引用すると、次のようなものです。
  
ばなな:
そうそう。
私は本のことしかわからないから、
書籍としての感想だけ言います。
うまく伝わるかわからないけれど、
私は、その人の生き方は読み取りたいけど、
生活を教えてほしいわけじゃないんです。

・・・略・・・
 
ばなな:
料理って生活の中から出てくるから、
こういう旦那さんがいて、
こんな家に住んでいて、
食器はこれが好きで‥‥っていう、
その人の暮らしを入れた本が多いですよね。
『LIFE』はそこを潔く
切り捨ててるところがいいと思います。
美学があるというか。


言いえて妙。

料理本に限らず、(特定の個人の)最近「ライフスタイル」そのものが前面に出ているメディアが多いように思います。芸能人やスポーツ選手など著名人で私生活を公開する人は多くなったし、芸そのものよりもライフスタイルで売っているのでは?と感じることも少なくありません。有名人でなくてもブログやSNSで百花繚乱の「ライフスタイル」が発信されています。

SNSで他人の投稿を見ると落ち込むから見ない、という人が少なからずいます。私はふだんはSNSで楽しく遊んでいますが、忙しかったりfeel down気味の時などは、やはり自ずと足が遠のきます。誰しも大なり小なりそういう傾向はあるのではないでしょうか。こうした仮想空間にあふれているのは、たいてい“オサレでステキな暮らしぶり”なので、そうでない自分の現実とひきくらべて、ヘコんだり、情けなくなったり、自己嫌悪に陥ったりしてしまうのです。

もとより別世界の銀幕のスタァ(いまや古典語か…)の雲の上の夢のやうな暮らしならともかく、幾多の「普通の人々」の「とってもステキな暮らし」は、「普通の人々」にとって無言のプレッシャーとなります。

人は人、自分は自分…と正論を吐いてみても、否応なく見せられる「オサレな暮らし」「ステキな暮らし」は、「オサレでもステキでもない」己の日常の現実をいやがうえにも突きつけ、まるでポジに対するネガのごとく、自分の生活は人に見せるべき何物もない、無価値なものだと苛まれるという、厄介なネガティブ・スパイラルの温床になるのですよ。

考えてみれば、自分の暮らしぶりなど、あえて他人様に見せる必要はないし、同様に他人様の暮らしもあえて見る必要はない。とても素敵に暮らしている人がいるとして、自分もあんなふうに暮らしたい!どうすればいいのか知りたい!と思えば、その人のライフスタイルを見るなり聞くなり真似るなりして、取り入れていけばよいと思います。しかし、そもそも日々の暮らしを他人に見せる必要はないし、見せてもらう必要もない。それを、(とてもオサレでステキな形に加工・編集して)否応なく見せられてしまうから、時としてネットライフ、とりわけSNSはひどくtiresomeなものになってしまうのかもしれませんね。

そういえば、かつてとあるシンポジウムで、「ライフスタイルという言葉は嫌い」と言っていたデザイナーがいました。いわばライフスタイルを提案するデザイナーの口からこういう発言が出てきたのがちょっと意外で、ずっと心に残っています。特にそのことを掘り下げては話さなかったので、真意は分かりませんが、もしかするとこういう風潮を暗に示唆していたのかも?と、今にして思います。

「となりの家の皿の数まで・・・」というのは、かつてのムラ社会的な閉鎖性や閉塞感を象徴する定型句でしたが、現代はまた違った意味で、あの人はどんな部屋に住んでいて、どんな食器を使っていて、どんな店でパンを買っていて、どんな銘柄のジャムを食べている、といったことまで、ものすごいボリューム感で「人の暮らしの中身」を見させられてしまう時代。(なんというか、ビジュアル的にとてもキレイなんだけど、あんまり見続ける/見せられ続けると疲れる・・・?)

『LIFE』を読んだことはないのですが、料理という暮らしに近いテーマでありながら、作者個人の暮らしはあえてそぎ落としたという点に興味をそそられます。そこに逆説的に作者の「生き方」が垣間見えるかもしれず、そうした期待も込めて、一度この本を見てみたいと思っています。

2018-01-15

2018MYキーワード

今年の自分的キーワードが決まった。

・覚悟
・統合
・面白さ

である。

文にすると、

覚悟をもって
今までやってきたことを統合し
面白いことをやっていこう

となる。

このなかでいちばん大事に思っているのが、「面白さ」である。

私は、自分の言ったこと、やったことが「面白い」と言われたとき、最高にハッピーである。「素晴らしい」とか「立派だ」と言われるより嬉しい。(あまり言われたことはないがw)

気のおけない旧友などに会うと、しみじみ「あんた、ホンマにおもろいなぁ」と言われることがある。学生時代、かなりカゲキかつアホなことを言って友と笑い転げていたので、旧友に会うとその身体記憶がカムバックして、面白さのスイッチが入るのかもしれない。

ひるがえって、現在。

―昔より面白くないんとちゃうか?自分。。。

まあ、それなりには面白いかもしれないが、いろいろな意味で「面白さ」を忘れていたように思う。

「面白し」とは、もともと目の前がぱっと明るくなる感じを表すのが原義といわれる。
いわゆる楽しい、愉快、滑稽、可笑しい…などほか、景色などが明るく広々として気分がはればれする感じ、対象の事物が普通の基準からみて新鮮・奇抜で変化に富み、興味をそそる、などの意味合いがある。

人が「面白い」というとき、それは単に笑えるというだけでなく、どこか新しい切り口、今まで考えたこともなかったような視点に、目から鱗が落ちるような感覚をともなっているのではないか。

英語のinterestingは、(主として知的な)興味・関心をそそるような面白さを表すが、日本語の「面白い」は、もっと広がりのあるconnotationをもっているように思う。interesting も好きな語だが、やや知に傾きすぎているきらいがあり、「面白い」のもつ豊饒な世界観を表しきれない。

というわけで、OMOSHIROIを、MOTTAINAI、KAWAIIに続く世界標準のニホンゴにしよう、というひそかな野望を抱いている。

人生のおひるどき(只今正午です)、あらためて「面白い/OMOSHIROI」を追求します。

2018-01-14

一年の計、百年の計

人生100年時代、などとまことしやかに言われるようになった。政府にそんな会議まで出来ている。

実際に100年生きるかどうかはともかく、現実問題としてそれを想定せざるを得ないほど、国民全体の平均寿命が延びているは事実だ。そして、それに伴い、かつてのように長寿が無条件に、手放しで、めでたしめでたしなものでなくなってきたのも確かだ。

共同体の中にごくまれに90歳や100歳の人がいて、寿がれた昔とは事情が違う。今や相当の割合で超高齢者の母集団が存在し、かつ子ども・若者は少ないのだから、先行きに漠然とした不安感が漂うのも無理からぬことだ。将来いい老人ホームに入るためにせっせと蓄財に励むのも一興だが、カネだけで不安が解消されるとも思えない。PPK(ピンピンコロリ)が理想といっても、こうすればそうなれる、という約束された方法もない。“不老”長寿なら問題なかろうが、実際には“老”長寿だから、未曽有の「老いた人/老いゆく人」のボリューム感に、個人も社会も意識と対応がついていかず、世の論調も悲観と楽観の両極を揺れ動いているように見える。

齢を重ねるにつれて、病気や、老いや、死への備えを意識せざるを得なくなる。しかも、現実としての死はいつ訪れるか分からないから、いったいどんな想定で、何を、どのように、どのぐらい備えればいいのか、究極的には分からない。人によって考え方は分かれるところだと思うが、自分としては、国家百年の計ならぬ個人百年の計、「自分百年の計」を立てようと思い至った。100年スパンで見るならば、ただ今、人生の正午ジャスト。この年を、「これからの50年の基盤をつくる元年」にしようと決め込んだのだ。

確実に、体はエイジングしている。若い時のように、何もしなくても何となく元気…というような希望的観測のもとに生きているわけではない。要介護生活の現実も目の当たりにしてきた。さりとて、日々最善を尽くし悔いなく生きているかといえば、全くダメダメである(汗)。やりたいと思いながら未だ手つかずのことも多く、自分のダメっぷりにジリジリとした焦燥感しきり。正直、ここ数ヶ月かなりdepressedな日々を過ごしてきた。

そんな中で、ふと、「人生100年」の言葉が腑に落ちた。今の自分の視座から「100年を生きぬく」ために、「今日できること」は、「今日をよりよく生きること」へと繋がるような気がしたのだ。

これからの50年は、確実に「老い」の道程を歩いていく道行きである。100年という時間を、最後まで自立的に喜びをもって生きぬくことは、そう簡単なことではない。運もあるだろうが、努力とビジョンとスキルも必要に違いない。それは、単に生きていく、というよりも、むしろサバイバルである。

かつて、これほどのボリュームで世の中に超高齢者が存在したことはないので、スーパー高齢社会サバイバル術は、未だ確立されていない。過去の経験値に基づいてそれなりの確度で予測でき、社会的に共有できる穏当な近未来像が描けない、というのが、今私たちの置かれている地点なのだと思う。だからこそ、このサバイバルは、冒険でありチャレンジでもあるのだ。

人生100年時代を生き抜く技術

こいつを本気で追求してやろう。
そう腹をくくると、「今この時」が妙に楽しくなってきた。

そんなことを思いつつ、ようやく届いた『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』のページをパラパラとめくる、2018年の小正月でありました。

今年もどうぞよろしくお願いします。

2017-12-13

「中年」考

私は「中年」である。

「中年」―この、いかにもくたびれた「中古」感満載のワード、近年あまり受けがよろしくない。

現代のシニアは、男女問わず元気いっぱい。かつて紛うかたなき「オバサン」だった40~50代女性も「美魔女」モード全盛の昨今、総じてキレイで若々しい。初老にさしかかり、定年退職や子の独立を控えて、しみじみとペーソスの漂う中年像(たとえば小津安二郎の映画に出てくるような?)は、すっかり過去のものになったようだ。

しかし。

世の中が全力で「老い」というものを隠ぺいしようとしているかにみえる今、あえて「中年」という言葉から、人生のこの時期について考えてみたくなった。

今やかつてのような敬老文化はすたれ、単に歳食っただけでは尊敬どころか、お荷物扱いされかねない時代。
一方で、90~100歳のスーパー長寿も珍しくなくなり、それにくらべれば中年ごときはハナタレ小僧。

若さでは勝負できない。
年の功をウリにもできない。

40代後半~50代ぐらいの、いわゆる「ザ・中年」は、何とも中途半端な時期なのである。

「中世」が古代と近代の「間」にあって、長らくその独自の価値を認められてこなかったように、「中年」もまた若年と老年の「間」にあって、自律的な自己規定が難しい時期なのかもしれない。

単に歳月を重ねただけでは、自慢にもならない。過去の蓄積だけを切り売りして生き延びる姿は、イタい勘違いになりかねない。チャレンジャーたることを求められるが、創造的破壊力と前進力の点では才能ある20~30代に及ばない。
かといって、「もうトシだから」と隠居モードにシフトすることも許されない。見上げれば、まだまだ元気な高齢者、超高齢者がワンサカなのだ。

かつて「中年」は、おそらく「老年」の入り口であった。さまざまな社会的役割から少しずつ後退し、次の世代に譲りながら、人生の歩みをスローダウンしていく過程であったのではないかと思う。ライフスタイルや考え方には個人差があるから、一概にはいえないが、少なくとも「世間」が規定する一般的な中年のイメージは、若人よりは老人のそれに近いものであっただろう。

こんにち、「中年」のイメージは大きく変わった。少なくとも外見上、中年期以降のあらゆる年代の人が、昔より確実に若い。行動様式も然り。昔のように「隠居モード」になれないのは、個人の志向と、平均寿命が長くなったゆえの社会的要請の両面があるだろう。

論語には「不惑」「知命」というけれど、目の前にはなお幾多の分岐があり、どの道を行くかでこれから先が変わる局面も多い。しかもその選択は、若い時のような、甘美な無知と幻想に彩られながらも、否それゆえに「なんかワクワク♡」といったような、フンワリした上昇気流気分の選択ではなく、来るべき未来(自分としての終局点)を見すえた上での決断・選択にならざるを得ない。

つまりは、本当に中身が問われる時期だと思うのである。

成熟・円熟と、単なる老化・劣化の違い。

最近よくそんなことを考える。

 ・・・と、こんなことを考えること自体が、midlife crisis(中年の危機)なのか?!

とツッコミを入れたくもなるが(たぶん、そう)、要は世界の見え方が変わってきたということなのだろう。

親の老いは、否応なく自分の行く末を考える一つのモノサシとなる。「まだ若い」と「もう若くない」の中間地点にいる自分と、「もう若くない」エリアにいる親の現在から見とおす自分の未来予想図。それはいつもバラ色とばかりは限らず、突き詰めていくとユウウツになりもする。

しかし、ある意味では、今まで見えていなかった地点から、人生を眺めることができているということなのかもしれない。そして、その時まで生きてこられたということ自体が、実は貴重な体験なのかもしれない。

なにやら抹香臭い予定調和的な締めに流れつつあるが、わが中年ロードはこれからも続く。

「中」の文字は、「中心」「中央」といった意味から、「(上でも下でもない、大でも小でもない)中ぐらい」「中間」といった意味まで、いろいろな含みがある。なかなか深いではないか。いろんな意味で人生の「真ん中」であり、「中間期」である中年。思考と人間性に深みを増すか、ただ経年劣化していくか。大いなる分岐点。人生の骨格を組みなおすときかもしれない。

ビバ 「中年」!

これからあえて「中年」というコトバにこだわりつつ、「中年道」を究めてみようかと思っている。