2009-10-22

東の都で美学会―Art, Social Inclusion, Globalism雑感

10月初めの芸術療法学会@東北福祉大(仙台)に続き、10/10~12は美学会@東大でした。いろいろとサプライズ演出のあった前者と違い、後者はいたってオーソドックスな学会でしたが、久しぶりに大学時代の先輩や後輩に再会し、個人的には楽しい3日間でした。特に最終日(10/12)の午後に行われたパネル「芸術とグローバリズム」は興味深く、いろいろ考えさせられました。音楽学(中川真氏)、現代美術(池上裕子氏)、演劇(平田オリザ氏)それぞれの専門家から、グローバリズムと無縁ではありえないアートの状況が語られましたが、いずれのジャンルにおいてもアートと社会包摂(social inclusion)的な活動の距離が縮まっているとの印象を受けました。イギリスのホームレスオペラ「ストリートワイズ・オペラ」の紹介や、アメリカの美術家ロバート・ラウシェンバーグが1980年代に中国他で行った国際的なアートプロジェクトROCI(ロッキー)の検証、日仏の演劇事情・文化政策の比較など各発表は個々にも面白く、通して聞くと、グローバリズムの中でヘゲモニーをもつ文化圏(例えば現代美術ならアメリカなど)とそうでない文化圏において異なるグローバリズムの様相が浮かび上がり、文化とヘゲモニーを考える上で興味深い視点が得られました。

グローバリズムといっても世界中の文化が均等にミックスされた平均値ではなく、その中で主導的なポジションを占める文化圏があります。今日の世界では、言語ならビジネス、学術、テクノロジーなど多くの領域において、英語がヘゲモニーをもっていることは否定のしようがありません。これはもはや是非を云々する段階ではなく、それに対してどういうスタンスを取るかという問題になっています。日本であれば、日本語圏だけでも社会・経済生活は成り立つので、英語に完全に背を向けることも個人としては可能でしょう。しかし、世界というフィールドに出て行こうとするならば、コミュニケーションツールとしての英語や、英語圏の文化に根ざすロジックを身につけなければ、勝負の土俵の上ること自体できません。その意味で、英語圏に生まれつくことは、非英語圏に生まれつくよりも明らかにアドバンテージが高いのです。アートの世界でも、そのジャンルのヘゲモニーをもつ文化圏出身のアーティストと、そうでないアーティストとでは、制作や発表をとりまく環境などに様々な違いがあるはずです。グローバリズムという現象は、すでに趨勢としては抗いがたい既成事実となった感があるためか、十分に検討されまま何となく流されたり、感情論的な反応に走りがちですが、足元の現実の事象や将来展望と照らし合わせながら、個人が、社会が、国家が、どういうスタンスを取るのか考え、選択していくべきものであろうとの認識をあらたにした次第です。

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