2009-11-18

贅をつくした夢のあと―Villa d’EsteとVilla Adriana

久しぶりのイタリア2009旅日記。水の都、石の都(花の都ともいう)と来れば、締めは当然、永遠の都です。何度来ても、何度歩いても飽くことのない街。イタリアへの愛は、やっぱりローマに通じます。1996年2月、最初のイタリア旅行の、最初の街がローマでした。夜のローマ市街をバスでホテルに向かう道すがら、ライトアップされたコロッセオを見たときの驚異と感動は、一生忘れることができません。が、しかし、今回はローマ市内よりも郊外へと決めていたので、市内めぐりはやめて、ずっと行きたかったティヴォリへ。オスティア・アンティカも捨て難かったのですが、初志貫徹でティヴォリに決定しました。

地下鉄B線の Ponte Mammolo からバスを乗り継いで 、まずは Villa d'Este に到着。16世紀中ごろ、エステ家出身の枢機卿イッポーリト・デステが隠遁生活のために建造したこの別荘は、これでもかというほど贅沢に水を駆使した広大な庭園を誇り、まだまだ暑い9月上旬にもかかわらず、至るところに吹き上げる水しぶきのおかげで、とても涼やかでした。敷地内には500以上の噴水があるそうです。庭内を歩いていると、ふとルネサンス風の衣装を着けて恋人と散歩する貴婦人のイメージが湧き、ひと時タイムトリップ。そんなコスプレをぜひ体験してみたいと思う、時代衣装好き、民族衣装好きの私でありました。

 
 
 
Villa d'Este

Villa d'Este からさらにバスを乗りついで、次にめざすはヴィラ・アドリアーナ Villa Adriana。在位中、広大な領地をくまなく視察してまわったローマ皇帝ハドリアヌス(76-138、在位117-138)が、旅の先々で魅了された各地の風景を集めて再現した理想郷です。神殿や浴場、劇場から養魚池、ギリシアやエジプトの建造物など、まさに皇帝の夢が凝縮されたミクロコスモスで、往時の姿はそれ自体一つの街といったものではなかったでしょうか。ハドリアヌス帝以後の皇帝にはあまり使用されることなく廃墟となり、宝物や建材用大理石もずいぶん持ち去られてしまったといいます。今の姿にはさすがに2千年の時の流れを感じずにおれませんが、遺跡や廃墟を歩く醍醐味は、想像力をもってその場を逍遥することだと感じ入りました。当時のままの姿で残っている建造物にも感銘を受けますが、廃墟となったものに立ち会うと、人間や時間などについて、完全な姿で残るものからは感じることのできない、何か特別な感慨を抱きます。じっくり見て回り、十分想像力をはたらかせて味わうには、ゆうに1日必要。Villa d'Este と Villa Adriana のWヘッダーではどちらも駆け足になってしまい、少しもったいなく思いました。次はそれぞれ一日ずつとって、時間を気にせず堪能したいものです。

Villa Adriana (Canopo)

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