2011-04-23

ブログ整理しました

たいして更新もしないのに、本数ばかり多かったMyブログ。いちおうテーマ別に分けていたのですが、肝心の更新が滞りがちでは意味がない。記事も分散するから「どれ見たらいいんか分からん」という友人のツッコミもあり、自分でも正直、面倒になっていたので、整理しました。

イタリアネタを綴っていた「毎日イタリア!」をこのブログに統合、ついでに、やたら数が増えていたカテゴリーも整理しました。韓国語ブログは、ハングルの練習や学習内容のおさらいを兼ねた自習ノートのようなものなので、別にしています。

ということで、現在アクティブなMyブログは、下の2つです。

■Dolce Vitaでいこう(メイン)

■안녕하세요(アンニョンハセヨ)―韓国語の部屋

過去HPのデータを移行したブログは、現在は更新していませんが、アーカイブとして残しています。狂おしいほどのイタリア愛に身を焦がしていた、若かりし日の記録として…。よければご一読ください。
※イタリア愛は、今も熱く現在進行形です。

■Studio ALBA (1996~2001年頃までの記録)
http://italianote.blogspot.com/


なお、下記はMy NPOのブログ&Twitterです。ALBAのブログ&Twitterと併せて、リンク&フォローしていただければ嬉しいです。

■ART×LIFE★NPO法人ライフスキル研究所
http://lifeskill.blog.so-net.ne.jp/
http://twitter.com/#!/lifeskill01

2011-04-16

外国は韓国が初めてです

여라분, 오래간만입니다.^^ (ヨラブン、オレカンマニニダ)
皆さん、お久しぶりです。

ひたすら「書いて」「発音する」ハングル習得の日々が一段落し、先月半ばからようやく会話らしい会話に入りました。授業中のロールプレイも増え、がぜん楽しくなってきたところです。といっても、まだ「私は~です」「出身は~です/ですか?」ぐらいしか言えませんが^_^;

それでも、文字学習のハードルが高かったのに比べ、実際の会話に入ると、むしろ韓国語は易しく感じます。ああ、文法が似てるってこんなに有難いことなのね~、と思わず感涙にむせぶことも。それを実感するのが、次のような文章に出会ったときです。

外国は 韓国が 初めてです。
외국은  한국이  처음입니다. (ウェググ ハングギ チョウミニダ)

分解すると、

외국(ウェグッ) =外国
은(ウン)       =[助詞]~は  ※パッチム有の単語の後の場合
한국(ハングッ) =韓国
이(イ)        =[助詞]~が  ※パッチム有の単語の後の場合
처음(チョウ) =初めて
입니다(イニダ) =です

―あああ~、まんまやないの~。単語置き換えたらエエだけやないの~。(感涙)

これが英語だと、こうはいかないですよね。いわゆる「象長い」式の文は、そのままでは英語に訳せません。それで、一旦(頭の中で)「象の鼻は 長い」とか「象は 長い鼻を もつ」など英語的な日本語に置き換えてから訳すことになります。上の文だと、例えば、

韓国は 私が訪れた 初めての外国です。
South Korea is the first foreign country that I visited.
South Korea is the first foreign country for me to visit.

というような具合になり、関係代名詞やらto不定詞やらのニオイがしてきて、どうも面倒くさい。

―でも、ああ、韓国語なら、そんなことは、ぜ~んぜん必要ないのよ~。(感涙)

というわけで、まだあまり難しい構文が出てきていないこともあり、しばし快感に浸っているのでした。

안녕!

2011-04-11

風景画に思う

去る3月23日、シニアCITYカレッジ(NPO法人シニア自然大学校主催)で美術の見方・楽しみ方についてのレクチャーをしました。受講者はシニアエイジの方々50名強、今年で3年目になります。レクチャーとディスカッションを合わせて4時間の長丁場ですが、毎回きわめてモチベーションの高い皆さんのポジティブ・パワーに、むしろ短く感じられるぐらいです。

一昨年の歴史画・宗教画、昨年の裸体画に続き、今回は西洋絵画の中でも特に多くの人々に親しまれている「風景画」に光を当てました。

雪舟(15ce)
アルトドルファー(16ce)
クロード(17ce)
ホッベマ(17ce)
フリードリヒ(19ce初頭)
モネ(19ce後半)

古来より山水画を愛でてきた東洋に比べると、西洋の風景画の歴史はかなり新しいのですが、近代絵画に欠かすことのできない重要なジャンルになりました。それでも、その成立の過程には様々な紆余曲折があり、芸術論争があり、芸術的実験がありました。たいてい背後は金地一色だった中世のイコン、やがて背景に自然や街の情景が表れ始め、さらに主題の物語より風景描写そのものに重きが置かれた英雄的風景画の登場、そして独立した風景画へと、数百年の軌跡は西洋の芸術観・自然観の軌跡をたどるようでもあります。

実は学生時代の研究テーマはロマン主義の風景画でした。その後他のことに興味が移り、風景画からは離れていましたが、今回久しぶりに風景画の歴史をひもとき、当時読んだ本の内容や考えていたことなどがフィードバック。折しも東日本大震災の直後、自然の猛威の前になすすべのない人間というロマン主義的観念を改めて思い起こし、複雑な気持ちにもなりました。

自然と人間―両者の関係は、共存と闘いの二極の間をゆらぎながら、ここまできたように思います。自然は、決して一面的には捉えられない。大きな恵みと大きな破壊をもたらし、決してどちらか一方の顔だけで私たちと付き合ってはくれない。それは、どんなに技術が進歩しても変わらないことでしょう。どこまでも“便利”が追求されていく現代、生の自然に触れることがますます少なくなるがゆえに、近代の入り口にロマン主義者たちが抱いた、畏怖に満ちた自然観を思い起こすことは、アクチュアルな意味をもつのかもしれません。