2009-10-31

「日本語でどうぞ」


経済面的プレゼンスが落ちたとはいえ、まだまだ健在?
ヨーロッパ諸語に混じって、ひときわ大きく
日本語でどうぞ


宝石・貴金属店が並ぶPonte Vecchioにて(Firenze)

2009-10-30

何の願掛け?

 

フィレンツェはヴェッキオ橋Ponte Vecchioの、ベンヴェヌート・チェッリーニBenvenuto Cellini像(だったと思う)の囲い柵にびっしりと掛けられていた錠前。1個1個に名前が書いてあったことからして、何かの願掛けでしょうか?

2009-10-29

イタリアの公務員改革

職場で過去の新聞をチェックしていたら、こんな記事を見つけました。  
イタリア:公務員給与 国民監視で格差導入へ…行政刷新相  
(2009年10月18日付毎日新聞) 

レナート・ブルネッタ行政改革担当相による公務員制度改革、なかなか好評のようです。
「まだだ。まだ終わらんよ」イタリア行政改革担当相の公務員改革は本気

>「公務員のサボりは許しません」という彼の強行な姿勢が功を成し、
>就任3ヶ月後の調査では、国家公務員の病欠が37%減り、
>「ブルネッタ効果」と評判になった。

この「病欠」の実態がどのようなものか、イタリアの休暇制度について知らないので、わかりませんが、ヨーロッパ諸国ではいわゆる有給休暇とは別に、(取得日数に制限のない?)病欠があり、風邪などの場合は(有給でなく)病欠を取る、というような話を聞いたことがあります。そうだとすれば、この「病欠」制度を悪用してズル休みする人が多かった、ということなのでしょうか。それにしても、37%減とは…!

スローな仕事ぶりは公務員も民間も大差なさそうですが、税金から給与が出ている分、公務員に対する国民の目はより厳しくなるのでしょう。近年、日本の役所が窓口対応なども非常に丁寧かつスムーズになっていることを考えると、日本のお役所って世界一では、と思えてきます。

2009-10-28

これは便利―ドコモのケータイ充電コーナー

ローマ三越地階のドコモ・ケータイ充電コーナー。充電器を持っていったはいいが使えなかった私(国内専用なのを確認せずに持っていった)、重宝しました。

2009-10-27

旅の余韻を味わう


フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局で買った食料をちびちび食しながら、イタリアの余韻にひたる。ヒマワリのハチミツ、ミックスベリーのジャム、栗のペースト。



雑誌でもおなじみの薬局の内部は、クラシックそのもの。しかし、通りに面した入り口は、内装からは想像もつかないほどアッサリ。素っ気ないぐらいで、見逃してしまいそうでした。

2009-10-26

1日1イタリア

Ciao a tutti! Piacere. Sono ALBA. Abito ad Osaka, Giappone.
これは、イタリアを愛する大阪人ALBAが、イタリアに関係のあるコトを何でもいいから1日1コ書くという、極私的なブログです。動機は、イタリアに行きたいけれど、なかなか行けない日々の中で、とにかく毎日何かイタリアとのつながりを感じていたい、というだけなので、話題はイタリア語だったり、旅の思い出だったり、美術だったり、音楽だったり、映画だったり、本だったり、料理だったり、スポーツだったり、新聞ネタだったり…風のごとく気の向くままに動きますが、ただただ「イタリア」だけを枠組みに、思いつくま、つれづれなるまま、つづります。イタリアを愛する方、イタリアに恋している方、イタリアにハマってしまった方etc.どうぞよろしく。

2009-10-22

東の都で美学会―Art, Social Inclusion, Globalism雑感

10月初めの芸術療法学会@東北福祉大(仙台)に続き、10/10~12は美学会@東大でした。いろいろとサプライズ演出のあった前者と違い、後者はいたってオーソドックスな学会でしたが、久しぶりに大学時代の先輩や後輩に再会し、個人的には楽しい3日間でした。特に最終日(10/12)の午後に行われたパネル「芸術とグローバリズム」は興味深く、いろいろ考えさせられました。音楽学(中川真氏)、現代美術(池上裕子氏)、演劇(平田オリザ氏)それぞれの専門家から、グローバリズムと無縁ではありえないアートの状況が語られましたが、いずれのジャンルにおいてもアートと社会包摂(social inclusion)的な活動の距離が縮まっているとの印象を受けました。イギリスのホームレスオペラ「ストリートワイズ・オペラ」の紹介や、アメリカの美術家ロバート・ラウシェンバーグが1980年代に中国他で行った国際的なアートプロジェクトROCI(ロッキー)の検証、日仏の演劇事情・文化政策の比較など各発表は個々にも面白く、通して聞くと、グローバリズムの中でヘゲモニーをもつ文化圏(例えば現代美術ならアメリカなど)とそうでない文化圏において異なるグローバリズムの様相が浮かび上がり、文化とヘゲモニーを考える上で興味深い視点が得られました。

グローバリズムといっても世界中の文化が均等にミックスされた平均値ではなく、その中で主導的なポジションを占める文化圏があります。今日の世界では、言語ならビジネス、学術、テクノロジーなど多くの領域において、英語がヘゲモニーをもっていることは否定のしようがありません。これはもはや是非を云々する段階ではなく、それに対してどういうスタンスを取るかという問題になっています。日本であれば、日本語圏だけでも社会・経済生活は成り立つので、英語に完全に背を向けることも個人としては可能でしょう。しかし、世界というフィールドに出て行こうとするならば、コミュニケーションツールとしての英語や、英語圏の文化に根ざすロジックを身につけなければ、勝負の土俵の上ること自体できません。その意味で、英語圏に生まれつくことは、非英語圏に生まれつくよりも明らかにアドバンテージが高いのです。アートの世界でも、そのジャンルのヘゲモニーをもつ文化圏出身のアーティストと、そうでないアーティストとでは、制作や発表をとりまく環境などに様々な違いがあるはずです。グローバリズムという現象は、すでに趨勢としては抗いがたい既成事実となった感があるためか、十分に検討されまま何となく流されたり、感情論的な反応に走りがちですが、足元の現実の事象や将来展望と照らし合わせながら、個人が、社会が、国家が、どういうスタンスを取るのか考え、選択していくべきものであろうとの認識をあらたにした次第です。

2009-10-06

杜の都でアートセラピー―芸術療法学会@東北福祉大学

しばしイタリアから離れて、日本の東北、杜の都へ。
10月3・4日(土・日)、東北福祉大学(仙台)で開催された芸術療法学会に行ってきました。今大会(第41回)のテーマは、「芸術療法に求められるもの―よみがえる生命力」。ダンスを取り入れたperformance-orientedなオープニング・スピーチ(ステージ!?)で幕を開け、個別の研究発表、実技発表(体験参加型)、講演会、シンポジウムまで、個々のプログラムが相互に緊密に関連しあった2日間でした。通常の学会とかなり趣向の異なる展開、心身両面への刺激の多い内容に、今なお朦朧感が残る身体感覚を引きずっています。


JR「東北福祉大前」駅&福祉大のキャンパス(駅の目の前) 
駅は単式ホーム(上下線共有)の小さな駅。最近できたそうです。
キャンパスはいくつかあり、野球部員たちが案内・誘導係として随所に立っていました。 
 福祉大の野球部は有名で、金本や矢野、大魔神佐々木などの出身校。


芸術療法学会は、もともと精神科医が中心となって設立されたようで、今も会員の半数以上が医療系、その次に臨床心理士など心理学系、そしてその他という構 成のようです。一口に芸術療法といっても、ジャンルは絵画、音楽、演劇、ダンス…と幅広く、参加者も医師、研究者、カウンセラー、セラピストなど多岐にわたっています。芸術に関連しますが、(私のように)美学・芸術学畑出身の参加者は、ほとんどいないと思われます。私は会員ではないのですが、NPOの活動に大いに関係があるし、仙台にも行ってみたかったので(←これがホンネかも!?)参加しました。


オープニング風景

学会全体がstimulatingで、枠に収まりきらない豊穣さを内包していました。これは、日本の心理劇(サイコドラマ)の第一人者で、今大会の会長を務められた増野肇先生(ルーテル学院大学)の発想とプロデュース力に負うところ大であったと思います。濃密な2日間のプログラムの中でも、とりわけ舞踏家・大野慶人氏の講演会は感動的。これ一つだけでも、十分に参加した甲斐があるほどのものでした。講演会場はホールではなく、大きめの普通教室、フロアには段差もなく、椅子が講演者をぐるりと囲む形で配置されたしつらえ。ごくまじかで大野氏の言葉を聴き、動きを見ることができる、ある意味でとても贅沢な空間でした。
大野氏はあいにく喉を痛めておられ、大きな声が出せないので、パフォーマンスを交えながら小声で語る大野氏の言葉を、コーディネーターの町田章一先生(大妻女子大学/ダンスセラピー)が拡声器代わりに伝えるという形で進められました。が、そのかすれた小声がすでに大野氏の一部のようで、動きながら話す一連の流れ自体が一つの舞踏作品のようでもありました。話すとき/動くときのコントラスト(目つき、周囲に醸し出す空気感)、シンプルな腕の動きや歩き方の一つ一つの中に込められた内なるメッセージ、体の芯から湧き出る精神性、そして「場をつくる」技の見事さ。無個性な普通の教室が、大野氏の動き、語りによって、固有の「場」に生まれ変わる。周りの(物理的)環境がどんなであれ、固有の空気・固有の精神性をもつ場をつくることできるのだということを体験しました。
もちろん、そのベースには、肉体と精神のたゆまざる訓練があります。強烈だったのは、10分かけてしゃがむ、というもの。10分間しゃがみ続けるのではありません。10分かけて徐々にしゃがんでいくのです。大野氏が、暗黒舞踏の土方巽に会ったとき、やりなさいと言われたとか。少しずつ、少しずつ膝を曲げ、体の重心を下げていく。限界がくる。持ちこたえる。10分かけて、少しずつしゃがむ体勢に移っていくのです。考えただけでも、頭がクラクラしてきますね。他にも、家の中を歩くなど日常の所作を通じて身体感覚を研ぎ澄ませていく方法が具体的に語られ、ほとんどワークショップを受けたといってもよい高密度の1時間でした。

2009-10-01

ウフィッツィで会った有名人

ウフィッツィで世界的有名人にお話をうかがうことができました。

ダンテ Dante Alighieri (1265-1321)
私はフィレンツェを愛してるんだーーーっ。ベアトリーチェを愛したと同じぐらい、深く、強く。だからこそ、わがトスカーナの言葉で『神曲』を書いたのだ!トスカーナ語が諸君の話す標準イタリア語の基礎になったのも、私のおかげだ。世界にイタリア語とイタリア文化を広めるという使命のもと、私の名を冠した協会(*)まであるというではないか。そんな私を、フィレンツェは石もて追放した。故郷を追われ、さすらい人となった私を受け入れてくれたのは、古の都ラヴェンナだ。結局、私はここに骨をうずめることとなる。今、フィレンツェのあちこちに私の像が建っているとは、なんたる皮肉!追放した人間を街のブランドにするとは、たちの悪い冗談かね?
(*)Societa' Dante Alighieriダンテ・アリギエーリ協会


ジョット Giotto di Bondone (1267-1337)

自慢するわけやおまへんけど、西洋美術史で最初に名前が出てくるいうたら、まあワテどすな。先にチマブーエいう師匠もいてはりまっけど。それまでの平らな絵が、なんやダサぁ見えてきてねぇ。立体的な人物表現や遠近法にトライしてみたんですわ。ほんなら、バカウケしてしもて。みんながワテ流に描くもんで、参りましたで。世の中では「ジョッテスキ(ジョット派)」やら言うとりまんな。おかげでワテの真筆かどうか分からん絵も、ようけ出回りましてなあ。でも、ま、マネされるんは人気モンの証ちゅうことで、ありがたいことや思てます。西洋絵画の父とまで言うてもろて、ほんま、おおきに、おおきに。

ペトラルカ Francesco Petrarca (1304-1374)
本業は古典学者なんだが、なんだか山登りで有名になっちゃって。ある日、どうにもたまらなくなって、登ってみたんだよ。ずっと気になってた、あの山に。周囲の白い目にもめげず、登頂したときの感動ときたら…!世界の中心でラウラへの愛を叫びたかったけど、悲しいかな、古典学者のサガがジャマしてしまってね…。だってキミ、自然に感動するなんて、教養人のすることじゃないだろ?でも、キミたちはちゃんと理解してくれたんだね。私の「ヴァントゥー登山」こそ近代登山の始まり、なんて言ってくれてさ。こっぱずかしいけど、嬉しいよ。え?なんで山に登るのかって?そりゃあ、キミ、「そこに山があるから」じゃないか。それ以外に何の理由が必要ってんだい?

ドナテッロ Donatello (1386-1466)
古代に憧れて、ブルネッレスキ先輩と二人、青雲の志を胸にローマへ行ったんだ。なんたってローマは、マニア垂涎の古代遺跡の宝庫。やっぱ、スゴイよ!思いっきり古代の風を吸って帰ってきた僕らは、フィレンツェ・アート界に革命を起こした。先輩は、長い間青天井だったドゥオーモにクーポラをかけるという偉業を成し遂げ、僕は彫刻の世界に新旋風を巻き起こした。僕の≪ダヴィデ≫の若く美しい肉体は、絶賛の的だったよ。僕らは、長らく忘れられていた古代の精神と技法を甦らせたんだ。フィレンツェにルネサンスをもたらしたのは、ブルネッレスキと、この僕ドナテッロ、そして若い画家のマザッチョだ。後にレオ、ミケ、ラファエロってトリオがえらく出世したけど、ルネサンス最初のスターは僕たち3人組。そこんとこ、お忘れなくね。


アルベルティ Leon Battista Alberti (1404-1472)
『絵画論』を書き、遠近法を研究し、諸君の知る西洋絵画を確立したのは、この私だ。音楽や建築、数学、法学、もちろん絵画、彫刻においても、卓越した才能を発揮した。いわば「万能の天才」の嚆矢なのだよ。私の芸術論は、その後の西洋美術の方向を決めたといっても過言ではない。天才といえば、ヴィンチ村だかどこか出身の若造がやたら有名になりおったが、私を忘れてもらっては困る。ルネサンス的人間像というものを最初に示したのは、ほかならぬこの私なのだからな。

レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci (1452-1519)
天才なのよ、ボク。なのにフィレンツェじゃ仕事にありつけなくて。だからミラノ行って、≪最後の晩餐≫描いたの。みんな褒めてくれてすっごく嬉しかったけど、あの絵も僕がいなくなってからは散々な運命でさ。そりゃ、フレスコで描いてればあんな傷むこともなかったけど、フレスコじゃボクのこだわるビミョ~な陰影とか細かなニュアンスが出せないんだよね。それに、ナポレオンが来たときなんか武器弾薬庫にされた上に、通路のドアまで穿たれちゃって。管理がなってないよね。ボクって、イタリアと合わないのかも…。いい仕事は、みんな年下のミケとかに持ってかれちゃうし。結局、フランソワが呼んでくれたから、フランスに行っちゃった。フランスはよかったよ。お城も貰ったしね。だから、お気に入りの≪モナリザ≫はフランスにあげちゃったんだ。今やルーブルのドル箱(ユーロ箱)でしょ。ウフィッツィは今頃くやしがってるだろうね~

ミケランジェロ Michelangelo Buonarroti (1475-1564)
あのヒゲおやじはどうも気に入らん。何やかやと屁理屈こねては、彫刻より絵画の方が優れてるとかホザイてやがる。けど、飽きっぽいアイツに分かるもんかってんだ。石の魅力がよ。オレは石ひとすじよ。石との格闘はロマンだ。絵を描いてるかと思いきや、夢想に取り憑かれて空飛ぶ機械つくったりしてる気分屋に、とやかく言われる筋合いはないね。それに、オレは絵でも超一流だっての。んなこと、システィーナ見るまでもなく明らかだろが。議論するまでもない。そんな暇があったら、オレは石を彫るね。しかし、ヒゲおやじもウザイが、教皇もやっかいだよな。気分次第でコロコロ言うこと変わりやがるし。とまあ、どいつもこいつも鬱陶しいことこの上ないが、石の仕事くれるなら我慢してやる。石彫ってるときだけがオレの幸せだからな。

ベンヴェヌート・チェッリーニ Benvenuto Cellini (1500-1571)
怖いものナシのベンヴェヌートだ。絵画、彫刻、音楽なんでも来いだが、とくに彫金にかけてはオレ様の右に出るものはいないぜ。ゲージュツもやったし、ギャンブルもやったし、女もやったし、ケンカもやった。ついでに、人殺しもやったぜ。道徳なんてクソくらえだ。詳しくはオレの『自伝』を読んでくれ。
【追記】聞き手のイタリア語能力不足による聞き違いや誤訳、および若干の脚色・創作については大目に見ていただき、Noツッコミということでお願いします。