2010-12-13

姓と氏―なまえのはなし#3

韓国の姓が同族集団の呼称であるのに対して、日本の氏は「イエ」の呼称であり、同族であっても家が分かれると違う名を名乗ったりします。例えば、かつての藤原氏がその後、近衛、鷹司、九条、二条、一条などそれぞれの名を名乗ったように、必ずしも姓の継承には重きを置かなかったといえます。
※氏、姓、名字(苗字)は、厳密にはそれぞれ時代による変遷や既定のされ方の違いがあるようですが、ここでは詳細に立ち入らず、姓=一族の呼称、氏=家の呼称、名字=ファミリーネームとして使われているもの(姓でも氏でも)と考えておきます。

対して、韓国人の姓は父祖からの連綿たる系譜の証であり、さらに日本よりも強い儒教的伝統を考えると、先祖への忠孝意識はきわめて強いと考えられます。とすれば、姓を引き継いでいくことは、先祖代々の血統を引き継いでいくということであり、子孫としての最大の務めでもあるともいえます。そう考えると、日本統治下にお ける創氏改名という政策の狙いは何であったか、それが姓や本貫に強い思い入れをもつ当地の人々のメンタリティにどう作用したか、ということが見えて きます。そのねらいは、朝鮮半島の人々に日本風の名を名乗らせて同化するというようなことではなく、日本的「イエ」制度を導入することで朝鮮の伝統的な家族・親族制度を改編し、姓と本貫を同じ くする一族郎党によって形成される宗族集団―時に強力な結束を発揮する―の解体および弱体化をはかるものであった、と(水野直樹 『創氏改名』)。だからこそ、「改姓」でなく「創氏(氏を創る)」だったのですね。また、義務であった「創氏」に対し、「改名」(ファーストネームの変更)は任意であったということです。

こうした圧力にさらされた当地の人々は、どのように対応したのか。多くの人が(不本意ながらも)創氏を行ったのですが、その際、もとの姓の一部を取り入れたり(ex. 金→金田、金山、金本など)、本貫を氏にしたり(ex. 豊川李氏→豊川、檜山黄氏→檜山など)、姓と本貫を組み合わせて氏を創ったりして、何とか先祖との繋がりを保持し、先祖に背くようなことならぬよう苦慮したようです。これらの問題について は、下の本が参考になります。詳しく知りたい方は、ご一読ください。

参考図書


#1(どこのキムさん?姓と本貫) を読む
#2(韓国夫婦別姓事情) を読む

0 件のコメント: