2017-12-12

楽器&me その1~恐怖のピアノ

人生のかなり初期から、細く長~く、ブランクを挟みながらも、完全に途切れることなく続いてきた音楽との縁。楽器もそれなりにいじってきて、これまでにピアノ、クラリネット、チェロの楽器経験があります。現在は、チェロをメインに、ピアノをちょこっと、クラリネットはすっかりご無沙汰ですが、どの楽器にもそれぞれに思い出と思い入れがあるものです。

いずれもそれほど突っ込んで鍛錬したわけでなく、今もそれほど気合いを入れて稽古しているわけではなく、腕前も大したことはないのですが、ジャンルの違う楽器をあれこれかじってきたというのは、自分の中では妙なウリ(!?)になっており、ここらでちょっと自分と楽器の縁をふりかえってみたくなりました。

まずは、ピアノから。

人生の最も初期に出会った楽器であり、最も苦い記憶に彩られた楽器でもあります。

ピアノをいつ始めたか記憶はありませんが、3歳ごろのようです。そんなに小さいころから習っているのなら、さぞ上手かったのでは?と思われるかもしれませんが、早くから始めた割には大して上手くもありませんでした。実際ピアノの練習をするぐらいなら宿題をするほうがよっぽどマシで、学校から帰ったら最優先で宿題。それは、ピアノの練習をしない、自分なりの正当な理由づけでした。それほどピアノが苦痛だったのには、理由があります。父親がピアノの先生だったからです。

父は音楽の教師でしたが、(家族に対しては)たいへんコワい人でした。理念的に厳格とかいうのではなく、感情的に怒るタイプで、怒ったときの剣幕もすごい。レッスン風景だけ見れば、ベートーベンのオヤジ並み!?だったかもしれません。

学校の友だちはよく「(お母さんはよく怒るけど)お父さんは優しい」と言っていましたが、うちの父はとにかくコワかった。そんな父のレッスンは苦行以外の何物でもなく、特にピアノに適性も愛着も感じていなかった私には、なおさらでした。

もっとも、ピアノを習っていた友だちは、たいてい先生は怖いと言っていたし、ヒステリックに怒鳴ったり、ピシャリと手を叩いたり、練習ができていないと追い返したりする先生というのは、当時はあまり珍しくなかったと思います。

それよりも私にとってキツかったのは、レッスン以外のとき、自分で練習をしているときも、父がその一部始終を聴いていることでした。ピアノを弾くときはいつもビクビク、胸はバクバク。間違ったりすると速攻飛んできて、そのままガチンコレッスンになってしまうし、楽しいどころではありませんでした。

レッスンはキョーフ、自主練もキョーフ。

ピアノを習いたくても習えない友だちもいたので、そんな人からすれば私の境遇は恵まれていたかもしれませんが、私にとっては苦痛の源泉、恐怖の源泉。まさに「音が苦」でした。

中学生になって部活(テニス)が忙しくなると、(それを口実に)だんだんとレッスンの間隔も疎らになっていき、中学2年生ごろには完全フェードアウト。以後30年以上、まともにピアノを弾くことはありませんでした。音楽そのものを嫌いにならなかったのは、せめてもの救い。しかし、苦痛と結びついた「ピアノの記憶」は、長らく私の心にとどまり、音楽へのアンビヴァレントな態度と感情を形成することになります。

ピアノは、自分の中で「封印された楽器」になりました。

そして、その封印が解けるには、実に30有余年の歳月が必要だったのであります。

ということで、次回は続・ピアノ編!
…をひとまずワープして(何しろ30有余年ですゆえ)、青春のクラリネット編です。

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