2018-01-29

ある別れー伯母の思い出

渦潮で有名な瀬戸内のまちに住む伯母が亡くなった。

その日の朝もいつもどおり丁寧に身づくろいをし、仏壇にお供えをし、いつもどおりの一日の始まりだった。が、仏間を出たすぐの廊下で、玄関に向かい、拝むような姿勢で倒れていたのだという。

行年85。去年の暮れに電話で10分ほど話したのが最後になった。ずっと達者な人だったから、たぶん90までいくだろうと、そんな気がしていた。いとこたちもそう思っていたそうだ。あまりに突然の別れに、一緒に暮らしていた長男一家も驚きを隠せなかったようだ。

「達者な人」

そう、伯母は「達者な人」だった。「元気」とか「健康」とかいうのでは、何か物足りない。働き者で、頭も体もよく動き、何事にも労をいとわない、達者もの。カラッとした性格で、趣味も多く、社交家だった。達筆で、筆まめで、母とはよく手紙のやり取りをしていた。昔ながらの信心深さや義理堅さをもちながらも、職業婦人(レトロな響きだね…)らしく合理的な考え方をする人で、因習の類にはとらわれなかった。そんな人柄を反映してか、葬儀には大勢の人が集まり、合唱サークルの仲間たち(小学生&シニアの混成部隊)は故人のために歌まで披露してくれた。(これには親族一同感涙)

達者という言葉、そういえば最近あまり聞かなくなった。アクティブとかバイタリティとか、そういう言葉に取って代わったのかもしれないが、「達者」という言葉には、単に病気がないとか、活動的というだけでない、生き方の姿勢みたいなものが含まれているように思う。

伯母も年相応に持病や体の不調はあったし、医者にも通っていた。特に近年は腰痛がきつく、つらかったようだ。それでも、伯母は終生「達者」であった。

それぞれ四国と本州で海を隔てて住んでいたから、伯母とも従兄姉たちとも、そうしょっちゅう会えたわけではなかった。本四連絡橋がなかった当時、阿波踊りの季節にほんに1~2日遊びに行くのが精いっぱい。それでも、いとこたちの中でいちばん仲の良かった6つ年上の従姉のいる伯母の家に泊まりにいくのは、夏の最大の楽しみだった。

葬儀に向かう道すがら、小さな島の海岸線を車で走っていると、水着のまま海岸まで走っていって遠浅の海で泳いだこと、井戸水でほどよく冷やしたスイカの甘かったこと、五右衛門風呂やおくどさんのあった古い家の記憶などが次々とよみがえり、それとともに、いつもシャキシャキ歯切れのよかった伯母の姿が思い出された。

あまりに突然の別れで、末期の水をあげたときは涙が溢れ出て止まらなくなった。しかし、本人はひ孫の顔まで見て、ピンピンコロリの大往生。悲しいことも苦しいことも乗り越えて、85年の人生を生ききり、何も思い残すことなく旅立ったと思う。現在の女性の平均寿命からすれば、必ずしも長命とはいえないかもしれないが、今流に言えば、伯母のQOLはきわめて高かった、ということになる。

欲をいえばあともう少し長く生きてほしかったが、これは周囲の煩悩というべきで、本人は十分満足して逝ったに違いない。長年の介護の末に亡くなった親族も見てきたので、この伯母の逝去は、惜別の涙の中にも希望のある、天晴な引き際であった。合掌。

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