2018-01-16

「生き方」と「生活」

―その人の生き方は読み取りたいけど、
生活を教えてほしいわけじゃない―


家庭料理のレシピ本『LIFE』シリーズの作者飯島奈美さんを囲む座談会での、吉本ばななさんの発言の一部。
http://www.1101.com/life/life_talk/2017-12-18.html

詳細は上のサイトに譲りますが、もう少し長く引用すると、次のようなものです。
  
ばなな:
そうそう。
私は本のことしかわからないから、
書籍としての感想だけ言います。
うまく伝わるかわからないけれど、
私は、その人の生き方は読み取りたいけど、
生活を教えてほしいわけじゃないんです。

・・・略・・・
 
ばなな:
料理って生活の中から出てくるから、
こういう旦那さんがいて、
こんな家に住んでいて、
食器はこれが好きで‥‥っていう、
その人の暮らしを入れた本が多いですよね。
『LIFE』はそこを潔く
切り捨ててるところがいいと思います。
美学があるというか。


言いえて妙。

料理本に限らず、(特定の個人の)最近「ライフスタイル」そのものが前面に出ているメディアが多いように思います。芸能人やスポーツ選手など著名人で私生活を公開する人は多くなったし、芸そのものよりもライフスタイルで売っているのでは?と感じることも少なくありません。有名人でなくてもブログやSNSで百花繚乱の「ライフスタイル」が発信されています。

SNSで他人の投稿を見ると落ち込むから見ない、という人が少なからずいます。私はふだんはSNSで楽しく遊んでいますが、忙しかったりfeel down気味の時などは、やはり自ずと足が遠のきます。誰しも大なり小なりそういう傾向はあるのではないでしょうか。こうした仮想空間にあふれているのは、たいてい“オサレでステキな暮らしぶり”なので、そうでない自分の現実とひきくらべて、ヘコんだり、情けなくなったり、自己嫌悪に陥ったりしてしまうのです。

もとより別世界の銀幕のスタァ(いまや古典語か…)の雲の上の夢のやうな暮らしならともかく、幾多の「普通の人々」の「とってもステキな暮らし」は、「普通の人々」にとって無言のプレッシャーとなります。

人は人、自分は自分…と正論を吐いてみても、否応なく見せられる「オサレな暮らし」「ステキな暮らし」は、「オサレでもステキでもない」己の日常の現実をいやがうえにも突きつけ、まるでポジに対するネガのごとく、自分の生活は人に見せるべき何物もない、無価値なものだと苛まれるという、厄介なネガティブ・スパイラルの温床になるのですよ。

考えてみれば、自分の暮らしぶりなど、あえて他人様に見せる必要はないし、同様に他人様の暮らしもあえて見る必要はない。とても素敵に暮らしている人がいるとして、自分もあんなふうに暮らしたい!どうすればいいのか知りたい!と思えば、その人のライフスタイルを見るなり聞くなり真似るなりして、取り入れていけばよいと思います。しかし、そもそも日々の暮らしを他人に見せる必要はないし、見せてもらう必要もない。それを、(とてもオサレでステキな形に加工・編集して)否応なく見せられてしまうから、時としてネットライフ、とりわけSNSはひどくtiresomeなものになってしまうのかもしれませんね。

そういえば、かつてとあるシンポジウムで、「ライフスタイルという言葉は嫌い」と言っていたデザイナーがいました。いわばライフスタイルを提案するデザイナーの口からこういう発言が出てきたのがちょっと意外で、ずっと心に残っています。特にそのことを掘り下げては話さなかったので、真意は分かりませんが、もしかするとこういう風潮を暗に示唆していたのかも?と、今にして思います。

「となりの家の皿の数まで・・・」というのは、かつてのムラ社会的な閉鎖性や閉塞感を象徴する定型句でしたが、現代はまた違った意味で、あの人はどんな部屋に住んでいて、どんな食器を使っていて、どんな店でパンを買っていて、どんな銘柄のジャムを食べている、といったことまで、ものすごいボリューム感で「人の暮らしの中身」を見させられてしまう時代。(なんというか、ビジュアル的にとてもキレイなんだけど、あんまり見続ける/見せられ続けると疲れる・・・?)

『LIFE』を読んだことはないのですが、料理という暮らしに近いテーマでありながら、作者個人の暮らしはあえてそぎ落としたという点に興味をそそられます。そこに逆説的に作者の「生き方」が垣間見えるかもしれず、そうした期待も込めて、一度この本を見てみたいと思っています。

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