2009-09-23

ターナーとヴェネツィア

今回ヴェネツィアに行って、私はターナー(Turner, Joseph Mallord William, 1775-1851)を思い出しました。イギリスの画家ターナーは、何度か大陸に旅行をし、特にイタリアには強い影響を受けました。とりわけヴェネツィアを愛し、代表作となる風景画も数多く残しています。


 

J.M.W.Turner 《税関とサン・ジョルジョ島、ツィテッレ》 (1842)

古典文化の薫りと太陽の光あふれるイタリアは、芸術家にとって憧れの地であり、めざすべき修業の地でもありました。特にドイツやイギリスなど北方から来た画家にとっては、風土も伝統も違う芸術先進地イタリアでの体験が、その後の画業に決定的な変化をもたらすことがめずらしくありません。イギリス人ターナーにとっても例外ではなく、イタリアでの経験は彼の絵画を大きく変える契機となります。

ターナーは、卒論と修論のテーマとして取り上げた画家で、当然ながら彼のイタリア体験についても触れたわけですが、私はまだイタリアに行ったことがなく、イギリスから来たターナーがイタリアの光に受けたであろう衝撃がいかほどのものであったか、正直なところピンときませんでした。当時の私の海外旅行経験は、真冬のロンドンに1週間行ったことがあっただけ。そのとき、日照時間が短くほとんど青空の見えない空、かなり陰鬱な(冬の)イギリスの気候を少し体験し(それは実際、気の滅入る体験でした)、こういうところに住んでいれば自ずと光に憧れる気持ちは強くなるだろうなあ、とは思いました。しかし、自分自身が日照時間の長い西日本(大阪)に住んでいるためか、光少ない土地の人がどれほど光を求めるか、それが芸術にどれほどのインパクトをもたらすかということが、いまひとつ実感できなかったのです。私はイタリアの光が大好きですし、西日本の光とはまったく違うかの地の光に、いつも強い印象を受けますが、光少ない土地に暮らした経験のない私には、渇望に近い光への欲求というほどのものはないと思います。

そのためか、過去のイタリア旅行でターナーを思い出すことはありませんでした。しかし、どういうわけか今回は、しきりにターナーの絵が浮かんだのです。なぜターナーがヴェネツィアをあのように描いたのか、急に腑に落ちた気がしました。ターナーは、ベッリーニよりも、カナレットよりも、他のどの画家よりも、ヴェネツィアのヴェネツィアたるゆえんを描いたのではないだろうか、と。光を受けてきらめく運河や建物、ゆらめく水面に映る街のシルエット。頭上に空を仰ぎ見れば輝く太陽が、眼下に運河を見下ろせば光を反射して輝く水があり、光が光を増幅する。その全体を眺めつつゴンドラで街に近づいていくとき、旅人の眼に映るヴェネツィアのヴィジョンは、空からも海からも光を受けて輝く、夢の浮き島さながらではなかったでしょうか。

イタリアが人の心を惹きつけてきたのは、豊かな芸術や文化と、もう一つはその光ゆえです。その光の魔術をこれほど眩惑的に見せてくれる街は、ヴェネツィアをおいて他にないでしょう。その意味で、ヴェネツィアという街は人類の一つの奇跡であるとさえ思うのです。

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