2018-09-05

防災考―台風21号ふりかえりの記

昨日9月4日の台風21号は、速度が速く滞留時間こそ短かったが、関西一円に甚大な被害を残して通り過ぎた。大阪北部に位置する拙宅の近辺は、木や建物の激しい破損・倒壊はなく、被害は軽かったが、昼過ぎから夜半にかけて停電。夜中(2時~3時頃?)に目を覚ますと既に復旧していたので、正確に何時に復旧したのか分からないが、これほど長時間の停電を経験したのは初めてだった。あらためて個人・家庭レベルでの防災体制の再考を迫られた。

昼過ぎに何度か短い停電があったあと、午後2時20分ごろに停電。そのまま夜になっても復旧せず、町も家も真っ暗。電気が来ないということは、明かりがないだけでなく、テレビもラジオもネットも使えず、情報がほとんど入ってこないことを意味する。唯一の頼みの綱はスマホだが、満充電でなかったため、バッテリー切れを気にして、むやみやたらなネットもできない。発電機やモバイルバッテリーがなく、しっかりした懐中電灯や短波ラジオ、乾電池などの備えも十分でなかったので、ハタと困った。また、当方は給湯が電気なので、風呂にも入れない。

幸い近くに住む妹の家は停電しておらず(同じ町内でウチのある1丁目だけが長時間停電となった)、日没からそちらへ退避させてもらったので事なきを得たが、全く電気がない環境で数時間を過ごすには我が家の備えは全くもって不十分で、日ごろの防災体制の甘さを痛感。6月の大阪北部地震での3時間車中缶詰め体験に続き、災害への備えと心構えを見直すきっかけとなった。

今回の経験は、被害といえるほどのものではない。本当に被災レベルになると、電気・ガス・水道などすべてのライフラインが停止し、その復旧には数週間~数ヶ月かかることもある。たった10時間程度、電気がないだけでも、実用面の不便だけでなく、心理面の不安が起こってくる。特に電気は情報入手の手段と直結しているので、テレビもラジオも使えない、スマホも最小限しか使えない、というのは堪えた。妹のところに一時退避できる環境があったからこそニュースで予想を超える被害状況も知ることができたが、ずっと自宅にいたら真っ暗な中で情報から遮断され、固定電話も使えず、いやがうえにも不安が募っただろう。

日が落ちても復旧の兆しは見えなかったが、私よりは防災の備えができていた妹宅からバッテリーやランタンを借りて自宅に戻り、とりあえず就寝。夜中に目が覚めたら、電気が点いていた。ホッとした。

日本は、世界でも有数の「物事が予定どおりに時間どおりに円滑に進む」社会。それだけに、想定を外れる事態への意識と備えが十分でない。考えてみれば子どものころは、日本も(災害でなくても)停電や断水がもっと日常的にあった。夕食時に電気がパッと消え、ロウソクを灯して晩ご飯を食べたこともあったと記憶する。昨今はそれこそ災害でもないかぎり停電しない。

エネルギー源の問題も含め、電力の安定供給はいずれの国でも大きな関心事だ。スマホやPC、ルーターなど種々のデジタル機器を誰もが使うようになり、社会全体として電気への依存度はますます増大している。だから、本当に電気がない、ということを真剣に考え、対策することを無意識のうちに回避する心理が働いているのではないか、と思う。特に、日本のように、普段「物事は想定どおりに回って当然」という感覚で生きていられる社会にいると、「想定外」への耐性が低くなる。加えて、自分は大丈夫だろうという正常性バイアスも働き、総じてリスクへの意識と備えが異様に低い日常生活を送ってしまう。

どんなにシミュレーションしても想定を超える事態は起こるし、すべての危険をゼロにすることはできないから、徒に不安に捉われ、日々の生活に支障をきたすほどの過剰な防御に走ることは賢明と思わない。しかし、たった10時間程度の停電で感じた不便と不安を考えると、己の「想定外」耐性の低さを認めないわけにはいかなかった。

日本は地震や台風など自然災害の多い国。特に未曾有の台風・水害頻発の今年、日常生活の一環として防災対策にきちんと意識を振り向けようと決意した。

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