2018-02-07

楽器&me その2~青春のクラリネット

楽器と自分との関係を軸に、細く長い音楽との縁をふりかえる「楽器&me」シリーズ。

第1弾「恐怖のピアノ」に続いて、第2弾はクラリネットです。

幼少からのコワイ親父レッスンへの恐怖と反発から、ピアノは金輪際ゴメンじゃとばかり、中学生になると、半ば確信犯的にフェードアウトしていきました。しかし、「やめる」とはっきり明言せず、なんとなくズルズルとフェードアウトに持ち込んだことは、自分の中にある種の不全感を残し、一抹のうしろめたさを残したのも事実。それが、高校に入ってクラリネットを始めた遠因かもしれません。

中学時代は軟式テニスをやっていて、高校に入っても基本的には運動系のクラブに入ろうと思っていました。それが、入学した学校にたまたま「オーケストラ部」があって興味をそそられたこと、同じ学校に通っていた近所の一学年上の先輩がオケ部に入っていて、たびたび声をかけてくれたことがきっかけで、なんとなく心が動いて見学に行ったのでした。さらに、小学校時代、仲の良かった友だちのお姉さんが、やはり同じ高校の出身者で、オケ部でヴァイオリンを弾いているという話を聞いていたので、そのころから好奇心を覚えていたかもしれません。最終的には、新入生歓迎演奏会で聴いたベートヴェンの交響曲第8番にけっこうマジで感動したことがキメ手になりました。

正直なところ、実際の演奏を聴くまでは、高校に入って始めた人が主体の部活のオケって、どの程度?…と、かなりいぶかっていました。が、少なくとも私の期待値をかなり上回るレベルではあり、高校から始めても、こんな本格的な曲が演れるのか、と素直に感動したものです。これが吹奏楽だったら、入っていなかったのではないかと思います。部活として一般的な吹奏楽ではなく、高校(しかも公立)にはめずらしい管弦楽であったことが、私には魅力的でした。吹奏楽はともかく、オーケストラというものは基本的にプロまたは音楽専攻の人がやるものだ、という先入観があったからです。

そうして入部を決めたオケ部でしたが、選んだ楽器は弦楽器ではなく、木管楽器のクラリネット。せっかくオケに入ったので弦楽器に心を動かされつつも、もともとクラリネットが専門であった父親への配慮というかというか遠慮というか、そういう気持ちが働いて、いわば消極的な理由からクラリネットにこだわったのでした。(モーツァルトのクラリネット協奏曲&五重奏曲が好きだった、という積極的な理由もありました。)父からクラリネットをやれと言われたわけでも、教わったわけでもありませんが、ピアノを一方的にドロンしたことへの罪ほろぼしというか埋め合わせというか、当時の自分なりの父親への「忖度」だったのかもしれません。(ただし、父にレッスンを受けることは一切しナシ!これはピアノだけで十分。)

そうして、(自分の中で)スッタモンダしながら始まった高校のオケ生活。果たして、まさしく「青春のクラリネット」。自分史上でも最高にオモロイ(おもろすぎる)悪友もとい良き友に恵まれ、素晴らしき先輩後輩に恵まれ、今に続く最強の友人ネットワークの基盤となりました。自分がいちばん気楽に、自由に、ありのままでいられる場所でもありました。

高校から大学にかけての、感性鋭敏(過敏)な、喜怒哀楽に富んだ人生の早春。音楽ライフは、やはり時に「音が苦」。いつもいつも楽しいばかりではありませんでしたが、笑いも涙も悩みも喜びも、クラリネットとともに、そしてオケとともにあったような気がします。アンサンブルの楽しさを知ったのも、このころでした。

もし、この時代のオケ経験がなかったら、幼少からのピアノ経験だけだったら、今、音楽をやっていなかったかもしれません。この後、大学を出てからは、すっかり音楽アウェーな十数年を過ごすことになります。楽器を演奏したり楽譜を読んだりすることはおろか、コンサートに行くことも、CDを聴くことさえも、めっきり少なくなってしまいました。その中でも、「またいずれ音楽をやりたい」という心の火が完全に消えることなく、微かにでも灯り続けていたのは、オーケストラを通じて、大小さまざまなアンサンブルの喜びや愉しみ、(うまくいったときの)感動を経験していたからだと思います。

子どものころに嫌々ながらやっていたピアノは、ソルフェージュや読譜などの基礎をつくるのに役立ったかもしれませんが、音楽が好き、楽しい、という精神的な基盤は、主にオケ経験によって育まれました。幼少期の根深い「音が苦」体験にもかかわらず、音楽への思いが苦痛一色に塗り込められなかったのは幸いでした。

今はケースの中で百年の眠りについているクラリネットたち…いずれまた、怪しい調べとともに呼び覚まされる日を待っているかもしれません。

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