2011-04-11

風景画に思う

去る3月23日、シニアCITYカレッジ(NPO法人シニア自然大学校主催)で美術の見方・楽しみ方についてのレクチャーをしました。受講者はシニアエイジの方々50名強、今年で3年目になります。レクチャーとディスカッションを合わせて4時間の長丁場ですが、毎回きわめてモチベーションの高い皆さんのポジティブ・パワーに、むしろ短く感じられるぐらいです。

一昨年の歴史画・宗教画、昨年の裸体画に続き、今回は西洋絵画の中でも特に多くの人々に親しまれている「風景画」に光を当てました。

雪舟(15ce)
アルトドルファー(16ce)
クロード(17ce)
ホッベマ(17ce)
フリードリヒ(19ce初頭)
モネ(19ce後半)

古来より山水画を愛でてきた東洋に比べると、西洋の風景画の歴史はかなり新しいのですが、近代絵画に欠かすことのできない重要なジャンルになりました。それでも、その成立の過程には様々な紆余曲折があり、芸術論争があり、芸術的実験がありました。たいてい背後は金地一色だった中世のイコン、やがて背景に自然や街の情景が表れ始め、さらに主題の物語より風景描写そのものに重きが置かれた英雄的風景画の登場、そして独立した風景画へと、数百年の軌跡は西洋の芸術観・自然観の軌跡をたどるようでもあります。

実は学生時代の研究テーマはロマン主義の風景画でした。その後他のことに興味が移り、風景画からは離れていましたが、今回久しぶりに風景画の歴史をひもとき、当時読んだ本の内容や考えていたことなどがフィードバック。折しも東日本大震災の直後、自然の猛威の前になすすべのない人間というロマン主義的観念を改めて思い起こし、複雑な気持ちにもなりました。

自然と人間―両者の関係は、共存と闘いの二極の間をゆらぎながら、ここまできたように思います。自然は、決して一面的には捉えられない。大きな恵みと大きな破壊をもたらし、決してどちらか一方の顔だけで私たちと付き合ってはくれない。それは、どんなに技術が進歩しても変わらないことでしょう。どこまでも“便利”が追求されていく現代、生の自然に触れることがますます少なくなるがゆえに、近代の入り口にロマン主義者たちが抱いた、畏怖に満ちた自然観を思い起こすことは、アクチュアルな意味をもつのかもしれません。

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