2010-01-01

枠をはずす―新年によせて

明けましておめでとうございます。2010年が始まりましたね。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。実は私は一日早く、12月31日に相方の実家で年賀の宴を済ませました。義姉夫妻の仕事の関係で1日に集合できないため、皆のスケジュールが会う31日の昼から忘年会、夕方から新年会、という具合。去年のも一昨年もこのパターンで、今やすっかり1日前倒しのお正月に慣れてしまいました。何とはなしに1日トクした気分で、今日はごく静かに過ごしております。

さて、今年のテーマは、「枠をはずす」と決めました。「枠」というのは、知らず知らずのうちに持っている思い込みやカベ、境界のようなものです。「自分という枠」といっていいかもしれません。自分をしっかり持つというのはとても大事なことなのですが、あまりにも「自分」に意識が向きすぎるのも何だか窮屈だなあ、と。そして、「ああ、はずしたいな」と。年末に、グループであるアートワークをやっていたときに、ふとそんな思いに駆られました。「超える」とか「こわす」というのではなく、「はずす」「はずれる」という感じ。あまりうまくいえないのですが、自分の限界を超えるとか、古い自分を壊して新しい自分を開くとか、そういう、いかにも意志的で、暑苦しい(!?)作用ではなく、はずれるべきものをはずす、自然にはがれるような感じ。毛が生え変わったり、脱皮したり、今までは確かに必要であったものが、今は必要なくなって自分の身からはずれていく。そんなふうに、自然のサイクルの一環として、今までの自分の殻がポロリとはがれる―そんなイメージが浮かんだのです。そして、それが妙に心から離れず、そうだ、2010年のテーマにしよう、と決めました。

具体的には、あまり「自分」のことを考えない、なるべく「自分」という存在を忘れている、そんな心持ちで過ごすということです。私は基本的にかなり「自分」追求型の人間で、今までこんなふうに思ったことはありませんでした。いかに「自分」をしっかりと持ち、「自分」で物事を決め、「自分」で行うか(うーん、暑苦しいですねぇ…笑)。意識せずとも、つねにそれがテーマだったように思います。もっとも、何をどうやっても自分は自分でしかない、とも言えるでしょうが、少なくとも「自分」(かっこ付きの自分)には、もうオサラバだな。これが実感でした。その先に、今までと違った自分のあり方が立ち現れてくるのかもしれないし、そんなものはないのかもしれない。けれど、「自分」意識が(人一倍)強かった私に訪れた、この心的変化は、私にとってちょっと不思議であり、だからこそ見逃せないものです。何年かぶりで訪れた内側からの心的変化に、忠実に沿うて生きたいと思っています。

以上、抽象的な表現ではありますが、2010年の所信表明でした。今年もどうぞよろしくお願いします。皆々様のご健康とご多幸を心よりお祈り申しあげます。

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