2009-10-01

ウフィッツィで会った有名人

ウフィッツィで世界的有名人にお話をうかがうことができました。

ダンテ Dante Alighieri (1265-1321)
私はフィレンツェを愛してるんだーーーっ。ベアトリーチェを愛したと同じぐらい、深く、強く。だからこそ、わがトスカーナの言葉で『神曲』を書いたのだ!トスカーナ語が諸君の話す標準イタリア語の基礎になったのも、私のおかげだ。世界にイタリア語とイタリア文化を広めるという使命のもと、私の名を冠した協会(*)まであるというではないか。そんな私を、フィレンツェは石もて追放した。故郷を追われ、さすらい人となった私を受け入れてくれたのは、古の都ラヴェンナだ。結局、私はここに骨をうずめることとなる。今、フィレンツェのあちこちに私の像が建っているとは、なんたる皮肉!追放した人間を街のブランドにするとは、たちの悪い冗談かね?
(*)Societa' Dante Alighieriダンテ・アリギエーリ協会


ジョット Giotto di Bondone (1267-1337)

自慢するわけやおまへんけど、西洋美術史で最初に名前が出てくるいうたら、まあワテどすな。先にチマブーエいう師匠もいてはりまっけど。それまでの平らな絵が、なんやダサぁ見えてきてねぇ。立体的な人物表現や遠近法にトライしてみたんですわ。ほんなら、バカウケしてしもて。みんながワテ流に描くもんで、参りましたで。世の中では「ジョッテスキ(ジョット派)」やら言うとりまんな。おかげでワテの真筆かどうか分からん絵も、ようけ出回りましてなあ。でも、ま、マネされるんは人気モンの証ちゅうことで、ありがたいことや思てます。西洋絵画の父とまで言うてもろて、ほんま、おおきに、おおきに。

ペトラルカ Francesco Petrarca (1304-1374)
本業は古典学者なんだが、なんだか山登りで有名になっちゃって。ある日、どうにもたまらなくなって、登ってみたんだよ。ずっと気になってた、あの山に。周囲の白い目にもめげず、登頂したときの感動ときたら…!世界の中心でラウラへの愛を叫びたかったけど、悲しいかな、古典学者のサガがジャマしてしまってね…。だってキミ、自然に感動するなんて、教養人のすることじゃないだろ?でも、キミたちはちゃんと理解してくれたんだね。私の「ヴァントゥー登山」こそ近代登山の始まり、なんて言ってくれてさ。こっぱずかしいけど、嬉しいよ。え?なんで山に登るのかって?そりゃあ、キミ、「そこに山があるから」じゃないか。それ以外に何の理由が必要ってんだい?

ドナテッロ Donatello (1386-1466)
古代に憧れて、ブルネッレスキ先輩と二人、青雲の志を胸にローマへ行ったんだ。なんたってローマは、マニア垂涎の古代遺跡の宝庫。やっぱ、スゴイよ!思いっきり古代の風を吸って帰ってきた僕らは、フィレンツェ・アート界に革命を起こした。先輩は、長い間青天井だったドゥオーモにクーポラをかけるという偉業を成し遂げ、僕は彫刻の世界に新旋風を巻き起こした。僕の≪ダヴィデ≫の若く美しい肉体は、絶賛の的だったよ。僕らは、長らく忘れられていた古代の精神と技法を甦らせたんだ。フィレンツェにルネサンスをもたらしたのは、ブルネッレスキと、この僕ドナテッロ、そして若い画家のマザッチョだ。後にレオ、ミケ、ラファエロってトリオがえらく出世したけど、ルネサンス最初のスターは僕たち3人組。そこんとこ、お忘れなくね。


アルベルティ Leon Battista Alberti (1404-1472)
『絵画論』を書き、遠近法を研究し、諸君の知る西洋絵画を確立したのは、この私だ。音楽や建築、数学、法学、もちろん絵画、彫刻においても、卓越した才能を発揮した。いわば「万能の天才」の嚆矢なのだよ。私の芸術論は、その後の西洋美術の方向を決めたといっても過言ではない。天才といえば、ヴィンチ村だかどこか出身の若造がやたら有名になりおったが、私を忘れてもらっては困る。ルネサンス的人間像というものを最初に示したのは、ほかならぬこの私なのだからな。

レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci (1452-1519)
天才なのよ、ボク。なのにフィレンツェじゃ仕事にありつけなくて。だからミラノ行って、≪最後の晩餐≫描いたの。みんな褒めてくれてすっごく嬉しかったけど、あの絵も僕がいなくなってからは散々な運命でさ。そりゃ、フレスコで描いてればあんな傷むこともなかったけど、フレスコじゃボクのこだわるビミョ~な陰影とか細かなニュアンスが出せないんだよね。それに、ナポレオンが来たときなんか武器弾薬庫にされた上に、通路のドアまで穿たれちゃって。管理がなってないよね。ボクって、イタリアと合わないのかも…。いい仕事は、みんな年下のミケとかに持ってかれちゃうし。結局、フランソワが呼んでくれたから、フランスに行っちゃった。フランスはよかったよ。お城も貰ったしね。だから、お気に入りの≪モナリザ≫はフランスにあげちゃったんだ。今やルーブルのドル箱(ユーロ箱)でしょ。ウフィッツィは今頃くやしがってるだろうね~

ミケランジェロ Michelangelo Buonarroti (1475-1564)
あのヒゲおやじはどうも気に入らん。何やかやと屁理屈こねては、彫刻より絵画の方が優れてるとかホザイてやがる。けど、飽きっぽいアイツに分かるもんかってんだ。石の魅力がよ。オレは石ひとすじよ。石との格闘はロマンだ。絵を描いてるかと思いきや、夢想に取り憑かれて空飛ぶ機械つくったりしてる気分屋に、とやかく言われる筋合いはないね。それに、オレは絵でも超一流だっての。んなこと、システィーナ見るまでもなく明らかだろが。議論するまでもない。そんな暇があったら、オレは石を彫るね。しかし、ヒゲおやじもウザイが、教皇もやっかいだよな。気分次第でコロコロ言うこと変わりやがるし。とまあ、どいつもこいつも鬱陶しいことこの上ないが、石の仕事くれるなら我慢してやる。石彫ってるときだけがオレの幸せだからな。

ベンヴェヌート・チェッリーニ Benvenuto Cellini (1500-1571)
怖いものナシのベンヴェヌートだ。絵画、彫刻、音楽なんでも来いだが、とくに彫金にかけてはオレ様の右に出るものはいないぜ。ゲージュツもやったし、ギャンブルもやったし、女もやったし、ケンカもやった。ついでに、人殺しもやったぜ。道徳なんてクソくらえだ。詳しくはオレの『自伝』を読んでくれ。
【追記】聞き手のイタリア語能力不足による聞き違いや誤訳、および若干の脚色・創作については大目に見ていただき、Noツッコミということでお願いします。

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