昨年、CSで深夜に連続放映されていた「アルプスの少女ハイジ」を全話視聴した。自分の世代には大変懐かしい、あのカルピス劇場である。子どもの頃にも全編見たはずだが、大人になった今だからこその発見が多く、このアニメの奥深さに驚いた。たまたま第1話を見たことから病みつきになり、寝不足を気にしながら連日連夜イッキ見してしまった。
端的に言えば、この物語の中に「自然」と「文明」のせめぎ合い、そして「子ども」の人間形成についての作者(あるいはアニメ制作者)の思想、という一貫した大きな底流を見たのである。
全編見終った後は無性に原作が読みたくなり、原作(翻訳)を購入。しかし、まずはあえて原作を読まずに、アニメだけを見た気づきと感想を書き留めておきたい。それからあらためて原作を読み、それらが原作に依拠するものか、アニメ独自の解釈によるものかを検証したいと思う。
発見1.ペーターは働く少年だった
第1話を見るなりハッとしたのが、このことである。しかも、すごい重労働。10歳かそこらの少年が村じゅうの山羊を集めて、毎日一人で山を登り降りしているのだから。
アニメでもそのことをさりげなくにおわせている。ハイジと一緒に山に登り、ハイジはハイテンションではしゃいでいるが、ペーターは草の上に寝転がるなり眠ってしまう。そこへ、「無理もありません、それだけ大変な仕事をしているのです」というナレーション。
ペーターは山羊飼いだから働いているのは当然なのだが、子どもだった自分(たしか小1)には「労働する子ども」としての側面は全く見えていなかった。「家のお手伝い」程度でなく、あれだけの責任を負って働いていたということに、今さらながらに驚愕。
―そうか、ハイジのボーイフレンドというだけじゃなかったのだな・・・。
「少年」ペーターに課せられた大人並みの役割と責任の重さを再認識した次第。
発見2.ロッテンマイヤーさんはいい人だった
もう一つの大発見が、これ。木で鼻をくくったような融通の利かなさ、過剰なまでの厳格さ、そして動物を見ては「ケダモノ~」といって卒倒するオーバーアクションで、子どもの目には「意地悪な人≒悪い人」のカテゴリーに入っていたロッテンマイヤーさん。話が進むにつれてじわじわと、大人eyeで見てもっともイメージが変わったのがこの人だったのだ。
まず、自然や動物に対するあのような反応は、当時の教養ある都会人の間では一般的な考え方であっただろうということ。したがって、自然のままに育った無教育な野生児(とロッテンマイヤーの目には映ったに違いない)ハイジに対する彼女の態度もまた、特別に不可解なものではない。否、むしろ名家の令嬢の教育係という彼女の立場を考えると、至極当然のものであろうということだ。
人間でも自然でも、「あるがままに」というあり方に肯定的な価値が見出されるのは、ヨーロッパではせいぜい18世紀以降のことである。とりわけアルプスのようなとてつもない大自然は、人が容易に近づけるところではないだけに、恐ろしく、得体が知れず、おぞましくさえある存在であった。大自然と共生するエコロジカルなライフスタイルは、現代でこそ尊ばれるものの、当時は「野蛮」や「未開」と紙一重の奇矯なものだったわけで、文明の象徴のごとき大都市フランクフルトで、街いちばんの名家の令嬢の教育を一手に引き受けているロッテンマイヤーさんとしては、決して容認できるものではないのは想像に難くない。クララを名家の令嬢として相応しい女性に教育しなければという責任感はもちろんのこと、その相手を務めるハイジをもクララに相応しい子として躾けなければ、とシャカリキになるのも無理からぬことなのである。
そのロッテンマイヤーさんのセリフにたびたび登場するのが、「何かあったら誰が責任を取るんです!?」というひと言。大人になった今となっては、この言葉に込められた意味合いや背景もまた、十分すぎるほどリアルに想像がつく。
クララはフランクフルトきっての名家ゼーゼマン家の一人娘で、母はすでに亡く、父は多忙でほとんど家にいない。つまり、身近に彼女を躾けたり愛情を注いでくれる肉親がいないうえに、病弱な少女を、名家の名に恥じない教養と品格をもった一人前の女性に育て上げるという重責を、ロッテンマイヤーさんは背負っているのである。
父親のゼーゼマン氏はなかなかの人格者だが、ロッテンマイヤーさんが何かあれば責任を問われてクビを切られる身分であることに変わりはない。慎重になりすぎて何でもかんでも禁止しがちな彼女の姿は、現代の大人と比べても特に異常なものではないと言える。
さらに、ロッテンマイヤーさん、実は彼女なりにクララのことを思い、愛しているのだ。ハイジと仲良くなるにつれ、だんだん気が強くなり、ロッテンマイヤーさんにも反抗するようになるクララ。そのクララがどうしてもやりたいと主張することに対して、最後は聞き入れてあげるのだ。近郊の森へピクニックに行くことも、ついにはアルプスへ行くことも、最初は強固に反対するが、結局はロッテンマイヤーさんが譲歩する形で実現するのである。
最終話では、フランクフルトの家で懸命に歩行練習に励むクララに付き添い、「ずいぶん上達なさいました。これならアルムの山へもおいでになれます」と励ます。ああ、ロッテンマイヤーさん、クララを愛してるのね?と実感したエピソードだった。
発見3.子どもはどう育つべきか―子どもの人格形成に関する二つの思想
アルプスの大自然に抱かれて育った自然児ハイジと、文明化された大都市フランクフルトで上流階級の女性として養育されるクララ。ヨーロッパ人が理想としてきた人間のあり方は、むろん後者だ。自然のままに、躾らしい躾も受けず、学校にも行っていないハイジは、いわば人間が住むべき世界の周縁に生きる存在。しかも、ハイジが暮らしているのは、アルプスの村人たちにさえ「あんな山の上に住んで…」と変人扱いされているアルムおんじの家。ハイジをおんじに預け、フランクフルトへ働きに出たデーテおばさん(ハイジの叔母)が、こんな田舎でなくフランクフルトで働けて嬉しい、ハイジもここで教育を受けさせたい、と考えているのとは正反対に、確信犯的に共同体に背を向けて生きるおんじの姿は、当時の田舎の人々の感覚からしても、かなりヘンコな、常識はずれのものだったのである。
正反対の生育歴をもつハイジとクララが出会い、バックグラウンドの違いを超えて友情を育み、互いの世界に歩み寄りつつ、成長していく。彼女らにかかわる周囲の大人たちもまた、ぶつかり合いながら少しずつ変化し、相反する価値観が互いに歩み寄っていく。ハイジとクララという二人のキャラクターに仮託されたのは、子どもの人格形成に関する異なる二つの考え方なのである。
作者のヨハンナ・シュピーリはどう考えていたのか。おそらく、その両者の統合を志向していたのだろうと思う。そのへんのところを、原作を読んで探ってみたい。
アモーレイタリア★Disney萌え大阪ラテン人ALBAのマイペースBlog。四十路の手習いで始めたチェロと海外ドラマが心の潤い。2018年秋に突如ハマったディズニーが元気のモトです。
2017-10-25
2017-10-21
わがネット生活をふりかえる
気がつけば、電子メールやインターネットを使い始めて20年ほどになる。
正確に(西暦)何年から使い始めたか、もはや分からないが、初めてPCを買ったのが大学院修士課程のころだったと思う。それから2~3年して電子メールやらパソコン通信やら始めたのではなかっただろうか。
初めてのPCは、Macintosh LC630。当時、ずいぶん安くなったとはいえ、今と比べればパソコンはまだまだ高く、リーズナブルなLC(=Low Cost)でも、モニターやキーボード、プリンタなどの周辺機器を合わせると、値引き後価格でも30万円ぐらいした。定収入なく低収入な学生には、大きい出費だった。それでもパソコンを入手したときは無邪気に嬉しく、暇さえあれば意味もなくいじって遊んでいた。あのころまだパソコンは、自分にとって「遊び」のツールだった。
ほどなくして友人から、「電子メールやれば?」という誘いをたびたびもらうようになった。
正確に(西暦)何年から使い始めたか、もはや分からないが、初めてPCを買ったのが大学院修士課程のころだったと思う。それから2~3年して電子メールやらパソコン通信やら始めたのではなかっただろうか。
初めてのPCは、Macintosh LC630。当時、ずいぶん安くなったとはいえ、今と比べればパソコンはまだまだ高く、リーズナブルなLC(=Low Cost)でも、モニターやキーボード、プリンタなどの周辺機器を合わせると、値引き後価格でも30万円ぐらいした。定収入なく低収入な学生には、大きい出費だった。それでもパソコンを入手したときは無邪気に嬉しく、暇さえあれば意味もなくいじって遊んでいた。あのころまだパソコンは、自分にとって「遊び」のツールだった。
ほどなくして友人から、「電子メールやれば?」という誘いをたびたびもらうようになった。
うぬ?電子メール?
よう分からんが、面倒くさいんちゃうんかなー・・・
月々の通信費も嵩みそうやしなー・・・
てな感じで、しばらく放置していたように思う。
ようやくモデム(ピープルプルのアナログ回線)を買って、ネットワールドに繋がってみると、そこからパソコン通信(レトロスペクティブ!)の輪にハマり、やがて自分でホームページを作るようになり、いろんな掲示板で共通の趣味の人と知り合い、時にはオフ会もして・・・
当時、イタリアへ行きたくて(今も行きたい)、毎年のようにイタリアへ行っており、できれば移住したいとまで思っていて、その思いから旅のホームページをつくり、「アモーレ・イタリア」を共通項に、ネットを介していろいろな人と知り合った。
考えてみると、ネット生活黎明期のあの頃が、自分史上もっともオンラインにおいてアクティブだったと思う。ちょうど安定した仕事を辞めて次の道を模索していた頃で、時間があり、漂泊気分いっぱい。リアルではやや引きこもりっぽいライフスタイルでもあり、ネットでの繋がりに支えられていた部分もあった。
その後、新しい仕事を始めてオフラインが忙しくなると、それに反比例してオンラインに割く時間と労力は低減。ホームページの更新もジリ貧に。職場にもPCが普及し、パソコンはもはや愉しき玩具ではなく、単なる仕事道具となり、休みの日にまであえて見たくはないシロモノになっていった。
その後ブログが主流になり、SNSが登場し、通信費は定額制でどんどん安くなり、メモリー容量もMBからGB、TBへと幾何級数的に増大し、タブレットやスマホの登場で、少なくとも通信目的でPC端末にアクセスする割合はずいぶん減った。
大学時代までは遠方の友達とも「手紙」でやりとりしていたが、今や「手紙」、特に「手書き」の手紙を書くことは本当に少なくなった。(ほぼ皆無に等しい。)将来有名人になっても、往復書簡などというハイブロウな知的遺産は残らないだろう(笑)。
メールでもずいぶん(自分なりには)深イイやりとりをしたと思うが、アプリケーションが変わったり、記録媒体が変わったりで、仮に保存していても今では読み出せなくなっているものが多い。サイバー空間のどこかにデータは残存しているかもしれないが、少なくとも手元に、いつでも参照できる形では残っていない。
その点、紙はスゴイと、最近あらためて思う。
保存状態さえ良ければ千年、2千年もつし、それが現存する限り、いつの時代になっても同じ形で参照できる。メディアの盛衰に合わせて記録媒体を移し変える必要はない。
本にしても、電子ブックリーダーも持っているが、なかなか紙の本の完全な代替にはならない。電子辞書も然り。単に世代の問題もあるだろうが、本はやはり紙の本のほうが読みやすい。(ページをめくる時にラグがないことが大きい。)
場所を取ることと、焼失のリスクを除けば、紙の発明は今なおデジタルメディアに勝る人類の発明ではないかと思ってしまう。ペーパーレス化は進むだろうが、全くなくなることはないのではないか。(将来的にはさらにsuperなメディアが出てきて、紙を駆逐することもあるかもしれないが。)
そして、ここに至って「紙に手書きする」ことの味わいをしみじみ感じるようになってきた。仕事の文書作成は、もはやPCなしにはできなくなってしまったが、最近また日記をつけるようになり、ブログやツイッターとは違う、内面と直結した思考や感情の吐き出しには手書きの方が断然勝っていることを実感している。
ネット生活をふりかえっていたら、ペーパー礼賛に着地した。
めっきり使わなくなった万年筆などもリバイバルしそうな今日この頃である。
その文章を、PCで書いて、ネットに上げている。
That's 現代.
よう分からんが、面倒くさいんちゃうんかなー・・・
月々の通信費も嵩みそうやしなー・・・
てな感じで、しばらく放置していたように思う。
ようやくモデム(ピープルプルのアナログ回線)を買って、ネットワールドに繋がってみると、そこからパソコン通信(レトロスペクティブ!)の輪にハマり、やがて自分でホームページを作るようになり、いろんな掲示板で共通の趣味の人と知り合い、時にはオフ会もして・・・
当時、イタリアへ行きたくて(今も行きたい)、毎年のようにイタリアへ行っており、できれば移住したいとまで思っていて、その思いから旅のホームページをつくり、「アモーレ・イタリア」を共通項に、ネットを介していろいろな人と知り合った。
考えてみると、ネット生活黎明期のあの頃が、自分史上もっともオンラインにおいてアクティブだったと思う。ちょうど安定した仕事を辞めて次の道を模索していた頃で、時間があり、漂泊気分いっぱい。リアルではやや引きこもりっぽいライフスタイルでもあり、ネットでの繋がりに支えられていた部分もあった。
その後、新しい仕事を始めてオフラインが忙しくなると、それに反比例してオンラインに割く時間と労力は低減。ホームページの更新もジリ貧に。職場にもPCが普及し、パソコンはもはや愉しき玩具ではなく、単なる仕事道具となり、休みの日にまであえて見たくはないシロモノになっていった。
その後ブログが主流になり、SNSが登場し、通信費は定額制でどんどん安くなり、メモリー容量もMBからGB、TBへと幾何級数的に増大し、タブレットやスマホの登場で、少なくとも通信目的でPC端末にアクセスする割合はずいぶん減った。
大学時代までは遠方の友達とも「手紙」でやりとりしていたが、今や「手紙」、特に「手書き」の手紙を書くことは本当に少なくなった。(ほぼ皆無に等しい。)将来有名人になっても、往復書簡などというハイブロウな知的遺産は残らないだろう(笑)。
メールでもずいぶん(自分なりには)深イイやりとりをしたと思うが、アプリケーションが変わったり、記録媒体が変わったりで、仮に保存していても今では読み出せなくなっているものが多い。サイバー空間のどこかにデータは残存しているかもしれないが、少なくとも手元に、いつでも参照できる形では残っていない。
その点、紙はスゴイと、最近あらためて思う。
保存状態さえ良ければ千年、2千年もつし、それが現存する限り、いつの時代になっても同じ形で参照できる。メディアの盛衰に合わせて記録媒体を移し変える必要はない。
本にしても、電子ブックリーダーも持っているが、なかなか紙の本の完全な代替にはならない。電子辞書も然り。単に世代の問題もあるだろうが、本はやはり紙の本のほうが読みやすい。(ページをめくる時にラグがないことが大きい。)
場所を取ることと、焼失のリスクを除けば、紙の発明は今なおデジタルメディアに勝る人類の発明ではないかと思ってしまう。ペーパーレス化は進むだろうが、全くなくなることはないのではないか。(将来的にはさらにsuperなメディアが出てきて、紙を駆逐することもあるかもしれないが。)
そして、ここに至って「紙に手書きする」ことの味わいをしみじみ感じるようになってきた。仕事の文書作成は、もはやPCなしにはできなくなってしまったが、最近また日記をつけるようになり、ブログやツイッターとは違う、内面と直結した思考や感情の吐き出しには手書きの方が断然勝っていることを実感している。
ネット生活をふりかえっていたら、ペーパー礼賛に着地した。
めっきり使わなくなった万年筆などもリバイバルしそうな今日この頃である。
その文章を、PCで書いて、ネットに上げている。
That's 現代.
駄文御免。
2017-10-19
「です・ます」か「だ・である」か?
語尾の話。
「です・ます」調か、「だ・である」調か。
私はもともと「だ・である」の方が好き、というか、慣れていて、筆が進みやすい。
なので、かなり昔に作っていたホームページ(ブログやSNSではない、いわゆるHTMLで書くホームページ)でも、文章は基本的には「だ・である」調だった。
しかし、、、
ブログになると、どうも「だ・である」調がそぐわない気がして、このブログも基本的には「です・ます」調で書くことにしている。ブログには、書き言葉然とした「だ・である」より、人に語りかけるような「です・ます」の方がしっくりくるように思えるからだ。あまたある他のブログでも、「です・ます」調の文章が多いような気がする。(調べたわけではないので、あくまで印象)
しかし、、、
自分としては、書きにくい。筆が進みにくい。
よって、更新が滞る。。。
オチはそれか?!
というのは、何ともおそまつだが、語尾は、内容と別の次元で文章全体の印象を左右するので、毎度けっこう考えてしまう。
と、ひとりごちつつ、久々に「だ・である」調で書いてみた。
うむ。ひとり言には、「だ・である」がしっくりくるな。
(丁寧語でひとり言をつぶやくことはないし。)
そういえば、SNSも「だ・である」で書くことが多いような。
(SNSの投稿はひとり言の延長みたいなものか。)
ともあれ、私には、「だ・である」の方が書きやすい。
これからブログでも、「だ・である」の頻度が上がるかも。
いや、ブログの頻度が上がる…か…も?!
駄文御免<(_ _)>
「です・ます」調か、「だ・である」調か。
私はもともと「だ・である」の方が好き、というか、慣れていて、筆が進みやすい。
なので、かなり昔に作っていたホームページ(ブログやSNSではない、いわゆるHTMLで書くホームページ)でも、文章は基本的には「だ・である」調だった。
しかし、、、
ブログになると、どうも「だ・である」調がそぐわない気がして、このブログも基本的には「です・ます」調で書くことにしている。ブログには、書き言葉然とした「だ・である」より、人に語りかけるような「です・ます」の方がしっくりくるように思えるからだ。あまたある他のブログでも、「です・ます」調の文章が多いような気がする。(調べたわけではないので、あくまで印象)
しかし、、、
自分としては、書きにくい。筆が進みにくい。
よって、更新が滞る。。。
オチはそれか?!
というのは、何ともおそまつだが、語尾は、内容と別の次元で文章全体の印象を左右するので、毎度けっこう考えてしまう。
と、ひとりごちつつ、久々に「だ・である」調で書いてみた。
うむ。ひとり言には、「だ・である」がしっくりくるな。
(丁寧語でひとり言をつぶやくことはないし。)
そういえば、SNSも「だ・である」で書くことが多いような。
(SNSの投稿はひとり言の延長みたいなものか。)
ともあれ、私には、「だ・である」の方が書きやすい。
これからブログでも、「だ・である」の頻度が上がるかも。
いや、ブログの頻度が上がる…か…も?!
駄文御免<(_ _)>
2017-05-07
2017年も半ばにさしかかり…
1年半ぶりの投稿です。
謹賀新年メッセージを書く間もなく立春をすぎ、4月に新年度メッセージを書こうと思いながら、早ゴールデンウィークも終わろうとしています。2016年の投稿はonly one。もはやAnnual reportの感を呈していますが、今さらながらでも2017年の展望は書いておこうと、連休の終わりにキーボードを叩いています。
まず2016年の検証。
1.ホンキで朝活 →×
起きる時間は早くなったが、エンジンかかるのが遅い。できる時はできるが、習慣化には至らず。
2.書籍・資料の整備充実 →○
デスクスペースを見直し、頑丈なシェルフをいくつか投入。キャパは足りませんが、以前よりは快適に。アタマの整理も並行して行うべし。
3.筋肉をつける →○
一朝一夕には増えませんが、筋トレは生活の一部になりました。骨密度も増加傾向。姿勢も良くなったと思います。今後は有酸素運動も増やしていきたい。
トップに掲げていた目標1がバツなのは残念ですが、永遠の目標でも構わない(笑)自己マネジネントまだまだ改善の余地アリということで、精進あるのみ。
そして2017年の目標。年頭から考えていたことを3つ。
1. USAデビュー
ラッキーなことに、これは既に実現しました。今に至るまでUSA(本土)に行ったことがなく、自分の中でそろそろ行きたい、行かねばと思っていたところへ、興味深い社会起業家スタディツアーがあることを知り、3月下旬に行ってきました。今の目標は、今年中にもう一度行くこと。目下とある研修プログラムに応募中。採択されれば、ボストンで1ヶ月の研修を受けられます。運命の女神よ、いや自由の女神よ、微笑んで!!
2. Excercise Daily
毎日訓練すること。特に仕事に直結するマター、具体的にはwritingです。近年「書く」と言えば助成金や企画コンペの申請書ばかり書いている気がしますが(苦笑)、エッセイや論文も書かないといけません。そのために自分の内からの言葉や思考を表現することと向き合いたいのです。
ついでに趣味の音楽も。。。(ボソッ)
3. Enjoy myself
アメリカでもっとも印象的だったこと、それは現地の社会起業家たちのstrongly positive & optimistic attitude。自分のしていること、しようとしていることに対する強い確信。そのベースにある、物事を心から enjoy するエネルギー。(自分も含めて)日本人はつい言う前、やる前から何事も引き算して考えてしまう傾向にあります。それは謙虚さとも言えますが、一方で無用なことでもあります。強く願っているからといってす、実現するわけではないでしょう。しかし、強く願わなければその時点で既に諦めたも同然。実現云々以前に、徹底的にenjoy myselfするマインド。これを体得したいです。
他に、具体的なこと。
*スイーツコントロール
それほど甘い物を食べまくるわけではありませんが、好きではあるので、良くないなと思いながらつい引きずられて食べてしまう。血糖値も気になるお年頃であるし、全く食べないというのではなくても、自分の体に合った、健康に良い食べ方を見つけたいと思います。
*旅の記録・記憶の整理
これまで旅先の写真や記憶をフィードバックし、まとまった形にしておきたいと思いながら幾星霜。旅は自分の人生においてとても大事なものなのですが、行きっぱなし、撮りっぱなし。それぞれの土地の印象、自分にとっての意味などを書きとめていきたいと思います。
謹賀新年メッセージを書く間もなく立春をすぎ、4月に新年度メッセージを書こうと思いながら、早ゴールデンウィークも終わろうとしています。2016年の投稿はonly one。もはやAnnual reportの感を呈していますが、今さらながらでも2017年の展望は書いておこうと、連休の終わりにキーボードを叩いています。
まず2016年の検証。
1.ホンキで朝活 →×
起きる時間は早くなったが、エンジンかかるのが遅い。できる時はできるが、習慣化には至らず。
2.書籍・資料の整備充実 →○
デスクスペースを見直し、頑丈なシェルフをいくつか投入。キャパは足りませんが、以前よりは快適に。アタマの整理も並行して行うべし。
3.筋肉をつける →○
一朝一夕には増えませんが、筋トレは生活の一部になりました。骨密度も増加傾向。姿勢も良くなったと思います。今後は有酸素運動も増やしていきたい。
トップに掲げていた目標1がバツなのは残念ですが、永遠の目標でも構わない(笑)自己マネジネントまだまだ改善の余地アリということで、精進あるのみ。
そして2017年の目標。年頭から考えていたことを3つ。
![]() |
| Boston & Grand Rapids (Michigan) にて |
ラッキーなことに、これは既に実現しました。今に至るまでUSA(本土)に行ったことがなく、自分の中でそろそろ行きたい、行かねばと思っていたところへ、興味深い社会起業家スタディツアーがあることを知り、3月下旬に行ってきました。今の目標は、今年中にもう一度行くこと。目下とある研修プログラムに応募中。採択されれば、ボストンで1ヶ月の研修を受けられます。運命の女神よ、いや自由の女神よ、微笑んで!!
2. Excercise Daily
毎日訓練すること。特に仕事に直結するマター、具体的にはwritingです。近年「書く」と言えば助成金や企画コンペの申請書ばかり書いている気がしますが(苦笑)、エッセイや論文も書かないといけません。そのために自分の内からの言葉や思考を表現することと向き合いたいのです。
ついでに趣味の音楽も。。。(ボソッ)
3. Enjoy myself
アメリカでもっとも印象的だったこと、それは現地の社会起業家たちのstrongly positive & optimistic attitude。自分のしていること、しようとしていることに対する強い確信。そのベースにある、物事を心から enjoy するエネルギー。(自分も含めて)日本人はつい言う前、やる前から何事も引き算して考えてしまう傾向にあります。それは謙虚さとも言えますが、一方で無用なことでもあります。強く願っているからといってす、実現するわけではないでしょう。しかし、強く願わなければその時点で既に諦めたも同然。実現云々以前に、徹底的にenjoy myselfするマインド。これを体得したいです。
他に、具体的なこと。
*スイーツコントロール
それほど甘い物を食べまくるわけではありませんが、好きではあるので、良くないなと思いながらつい引きずられて食べてしまう。血糖値も気になるお年頃であるし、全く食べないというのではなくても、自分の体に合った、健康に良い食べ方を見つけたいと思います。
*旅の記録・記憶の整理
これまで旅先の写真や記憶をフィードバックし、まとまった形にしておきたいと思いながら幾星霜。旅は自分の人生においてとても大事なものなのですが、行きっぱなし、撮りっぱなし。それぞれの土地の印象、自分にとっての意味などを書きとめていきたいと思います。
2016-01-04
2015年のふりかえりと2016年の展望
あけましておめでとうございます。
このブログ、(予想に違わず!?)2015年も放置気味でした。それでも、2014年(投稿0件)よりはマシだったので、進歩を認めて(笑)、また前へ進みましょう。
まずは2015年のふりかえり。ブログに書いた目標を自己点検してみます。(◎、○、△、×の4段階)
1.研究と実践の両立に力を入れる
→○ 実践と研究が繋がってきた手応えあり。アウトプットの充実はさらなる課題。
2.過去3年の共同研究の成果を本にする
→△ 継続課題。共同研究者たちと構想を練っていますが、まだ形にはなっていません。研究プロジェクト自体は第2段階に入っており、これと併せて研究面の最重要課題。
3.NPOの事業をソーシャルビジネスとしてより持続可能なものにしていく
→△ これも継続課題。但し、他団体とのコラボレーションや行政との協働事業など新しい展開はありました。ソーシャルビジネスと言えるレベルをめざし、さらなる努力と知恵を!
4.体力強化のためにトレーニングを始める(ジムに通う)
→◎ 5月からジムで筋トレをスタート。おおむね週2回のペースで通っています。
5.めげない精神力とセルフコントロール力をつける
→○ これは永遠の課題、これで良いということはないでしょうが、昔より打たれ強くはなってきたと思うので○とします。まだまだ甘ちゃんで、何かあると凹んだり弱気になったりしますが、それでもキレイゴトに捉われなくなってきました。さらに精進します。
迷わず◎をつけられるのは、筋トレだけ(苦笑)。しかし、カラダ再構築は年来の懸案だったので、一念発起してトレーニングを始めたことで、心もずいぶん軽くなりました。一つでも◎があって良かったです。
あと、予定外の(自分的には)BIGなイベントは、30年ぶりにピアノを再開したこと。子ども時代のトラウマにも似た苦行的レッスンの記憶から、ずっと喉元にひっかかった魚の骨のような存在だったピアノ。音楽は断続的にやっていましたが、ピアノだけは中学生でレッスンを放棄して以来ほとんどまともに弾いたことがありませんでした。けれども、これにきちんと向き合わない限り、根本的なところで「逃げている」、そんな気持ちがありました。自分の中ではとてつもなく高かった、この心理的な壁を正面突破できたことは、音楽にとどまらず、自分の道行きそのものにとって相当に大きなことでした。これについては、またいつか自分なりにまとめてみたいと思います。
さて、2016年の豊富、もとい抱負。
1.ホンキで朝活
朝を制するものは全てを制す!幾度となく取り組んではいるのですが、長続きせずザセツモードの朝活計画。しかし、やはり朝の時間の生産性はスゴイ。事を成すために、ホンキで朝活です。
2.書籍・資料の整備充実
主としてハード面ですが、書架書棚を整備し、必要な資料がいつでも参照できる環境を整えたい。書庫があれば理想的ですが、限られたスペースの中で何とか工夫して、創造的な思考と仕事の空間をつくりたいです。
3.筋肉をつける
筋肉・筋力が少ないのが悩みです。老後に心配のないカラダづくりのためにも、筋トレをベースに適度な運動を習慣化するのが目標です。
2015年からの継続課題は、もちろん引き続き取り組んでいきます。音楽面でもいろいろプランはありますが、もっとも強く望むのは上記の3つ。リバウンドしない自分再構築をめざします。
(小声で)ブログももうちょっと書くようにします(^.^;)
このブログ、(予想に違わず!?)2015年も放置気味でした。それでも、2014年(投稿0件)よりはマシだったので、進歩を認めて(笑)、また前へ進みましょう。
まずは2015年のふりかえり。ブログに書いた目標を自己点検してみます。(◎、○、△、×の4段階)
1.研究と実践の両立に力を入れる
→○ 実践と研究が繋がってきた手応えあり。アウトプットの充実はさらなる課題。
2.過去3年の共同研究の成果を本にする
→△ 継続課題。共同研究者たちと構想を練っていますが、まだ形にはなっていません。研究プロジェクト自体は第2段階に入っており、これと併せて研究面の最重要課題。
3.NPOの事業をソーシャルビジネスとしてより持続可能なものにしていく
→△ これも継続課題。但し、他団体とのコラボレーションや行政との協働事業など新しい展開はありました。ソーシャルビジネスと言えるレベルをめざし、さらなる努力と知恵を!
4.体力強化のためにトレーニングを始める(ジムに通う)
→◎ 5月からジムで筋トレをスタート。おおむね週2回のペースで通っています。
5.めげない精神力とセルフコントロール力をつける
→○ これは永遠の課題、これで良いということはないでしょうが、昔より打たれ強くはなってきたと思うので○とします。まだまだ甘ちゃんで、何かあると凹んだり弱気になったりしますが、それでもキレイゴトに捉われなくなってきました。さらに精進します。
迷わず◎をつけられるのは、筋トレだけ(苦笑)。しかし、カラダ再構築は年来の懸案だったので、一念発起してトレーニングを始めたことで、心もずいぶん軽くなりました。一つでも◎があって良かったです。
あと、予定外の(自分的には)BIGなイベントは、30年ぶりにピアノを再開したこと。子ども時代のトラウマにも似た苦行的レッスンの記憶から、ずっと喉元にひっかかった魚の骨のような存在だったピアノ。音楽は断続的にやっていましたが、ピアノだけは中学生でレッスンを放棄して以来ほとんどまともに弾いたことがありませんでした。けれども、これにきちんと向き合わない限り、根本的なところで「逃げている」、そんな気持ちがありました。自分の中ではとてつもなく高かった、この心理的な壁を正面突破できたことは、音楽にとどまらず、自分の道行きそのものにとって相当に大きなことでした。これについては、またいつか自分なりにまとめてみたいと思います。
さて、2016年の豊富、もとい抱負。
1.ホンキで朝活
朝を制するものは全てを制す!幾度となく取り組んではいるのですが、長続きせずザセツモードの朝活計画。しかし、やはり朝の時間の生産性はスゴイ。事を成すために、ホンキで朝活です。
2.書籍・資料の整備充実
主としてハード面ですが、書架書棚を整備し、必要な資料がいつでも参照できる環境を整えたい。書庫があれば理想的ですが、限られたスペースの中で何とか工夫して、創造的な思考と仕事の空間をつくりたいです。
3.筋肉をつける
筋肉・筋力が少ないのが悩みです。老後に心配のないカラダづくりのためにも、筋トレをベースに適度な運動を習慣化するのが目標です。
2015年からの継続課題は、もちろん引き続き取り組んでいきます。音楽面でもいろいろプランはありますが、もっとも強く望むのは上記の3つ。リバウンドしない自分再構築をめざします。
(小声で)ブログももうちょっと書くようにします(^.^;)
2015-09-28
思いがけずアートフル!シルバーウィーク日記
いつからかシルバーウィークなる呼称が定着した秋の連休。もろもろで自由時間は少なかったのですが、気がつけば東京で2つ、京都で3つ、展覧会をハシゴ。思いがけずアートフルなシルバーウィークとなりました。
前半は東京で学会の合間をぬって東京都美術館のモネ展→キュッパのびじゅつかん。永青文庫の春画展も行きたかったのですが、時間の都合で残念ながらabandon。
帰阪後、京都市美術館でルーブル展→マグリット展→さらに京都文化博物館でレオナルドとアンギアーリの戦い展と1日に3つハシゴ。
モネ展では約20年ぶりに「印象、日の出」と再会。フランの時代にマルモッタンで見たはずですが、残念ながらあまり“印象”に残っておらず…(^^; )睡蓮の巨大壁画のインパクトが自分の中でかなり大きかったので、他は霞んでしまったのかもしれません。しかし、あらためてこの小さな絵が美術の、あるいは視覚の常識を塗り替えたのだと思うと、しみじみと感慨深く。。。絵の向こうの若きモネと対話したような感覚を覚えました。
ルーブル展は終了間近ということもあり、予想どおりの混雑。チケットを持っていても同じ列に並ばなばならないことに一抹の割り切れなさを感じつつ、炎天下で待つこと90分。日焼けの気になる美術鑑賞でしたが、フェルメールやブリューゲル、マセイス、ティツィアーノなど名だたる巨匠のマスターピースに対面できたのは幸せでした。風俗画がメインなので比較的小規模な作品が多く、コッテリ巨大な歴史画や宗教画うじゃうじゃよりもカジュアル感覚で見られて、長時間並んだ割には鑑賞後の疲労は少なかったと思います(笑)
ルーブルの余波もあってか同時開催のマグリットもかなりの混雑ぶり。マグリットは日本でも何度か回顧展が開かれているので、これまでにもまとまって見ていますが、終戦直後の作品など、いわゆるマグリットっぽくない作品にマグリットの軌跡が垣間見えて興味深い内容でした。
いずれも充実の展覧会でしたが、個人的にいちばん面白かったのは、気合一発、根性ひと押しで岡崎公園から三条通りの京都文博まで徒歩でハシゴしたアンギアーリの戦い展。《アンギアーリの戦い》というのは、レオナルドvsミケランジェロのスーパーウルトラ芸術対決が見られたかもしれない、幻の壁画作品ですが、戦闘画の系譜や当時のフィレンツェの文化・政治の状況などが手に取るようにわかり、なかなか臨場感がありました。この芸術対決の仕掛け人がマキャベッリだったとは!うーむ、芸術のみならずあらゆる面において巨人たちが交差しあう時代だったのだなあと、歴史の大波にしばし身を任せ…フィレンツェ政庁(ヴェッキオ宮殿)やヴェッキオ橋、シニョーリア広場を行き交う偉人の姿が瞼に浮かび、贅沢なモウソウのひとときを楽しみました。
秋は展覧会のハイシーズン。まだまだ注目の展覧会が目白押しなので、できる限り足を運び、目と脳と心にたっぷり滋養をチャージしようと思います。
2015-01-09
手帳 à la carte
今年は個人ブログを(少しは)活性化させる、と書いたので、本年2つ目の投稿です。
本日ノート、ダイアリーの類をドカドカと3種類も買い込みました。
既にスケジュール管理はほとんどPC・スマホになっており、紙の手帳を使わなくなって久しいのですが、今年はFacebookで連用日記をつけているという友達の投稿に触発され、生来の紙フェチ気質が再燃。(その割にマメさや根気はない。)友もすなる日記といふものを我もしてみんとてすなり、というわけで、ヨドバシや紀伊国屋の手帳コーナーを徘徊すること1時間以上、厳選に厳選を重ねて今年のセレクションが出揃いました。
過去に3年連用日記をつけたことがあり、それなりに意味を感じたので、ダイアリーはできれば連用でと考えて探してみましたが、どれもデザインがイマイチだったのと、〈飽きそう…〉というココロの声がヒタヒタと聞こえ、現時点で既にこの調子では結果は推して知るべしと思い、小型の1日1頁式の1年ダイアリーに決定。それから、継続的に記録・管理したいマターのための項目別仕様の手帳。そして、無地の薄型ノートです。
ダイアリーと無地ノートについては、モレスキンいっぺん使ってみたかった、です(笑)
ここ2〜3年、年の瀬が近づくと店頭に出現する手帳コーナーで、度々そそられながらも、それなりのお値段と、どうせロクに続かんのでは、という自己不信の間で引き裂かれ、購入に踏み切れなかったものです。今年は、これしきでゴチャゴチャ悩むより欲しいならいっぺん買うてみなはれ、というココロの声が聞こえたので、買い。
ダイアリーはmickeyモチーフの赤がキャッチーで楽しい気分になれそうなので、1年間少しはモチベーションの維持に資するかとの期待を込めて選定。
ノートは、近年罫線がどうもジャマに感じるので、無地が基本、そして厚すぎないページ数でコレに決まり。モレスキンといえば、厚みのあるノートが定番ですが、カバンの中で嵩張る&重くなるのでつい持ち歩く頻度が下がり、肝心な時にない、とかいうことになりがち。ゆえに、私の場合、なるべく薄手が望ましい。定番品のようにカラフルな表紙のラインナップがないのは残念ですが、3冊合わせて同じページ数で値段は随分安いし、実用には十分です。
Myノートは無差別級時系列方式。かつては仕事や研究テーマの内容に応じて使い分けもアレコレ試みましたが、結局あまり意味を成さず放棄。唯一のインデックスは、日付け。会議や打合せから思いつきまで、文字主体のノートは持ち運びしやすく嵩張りすぎない程度の厚さのA5サイズに近年落ち着いています。
そして、なかなかデキそうな項目別仕様の手帳。スケジュール用ではなく、食事やフィットネス関係の記録・管理用に使おうと思います。
さて、ここまでもっともらしく書いてきて、〈性懲りもない…〉とつぶやくココロの声(汗)こんなに買い込んで、どんだけ使いこなすん?という自虐的かつ冷静な理性のツッコミです。
しかし、いいのです。当初思ったように続かなくても、自責はしないことに決めてます。思い立ったら手がけることの方が大事。
それと、今年やたらと紙ダイアリーがほしくなったのは、「書く」ことにもっと向き合いたいからです。書くことはある意味で自分の生業の一部を成すものではありますが、仕事云々と関係なく、自分自身にとって本質的な営みとして、自分の言葉を獲得し、磨き、発信するために、できることから始めたいと思ったからです。
どこまでやれるかわかりませんが、ひとまずここに書いたので、ココロの声だけに留めておくよりは、外向きのパワーを持つでしょう。
さ、今日から日記、つけましょう。
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